な活動として「土曜講座」「実技講座」「ボランティア」を挙げている(注2)。インタビューによると、実技講座を柱の一つとしているのには、北九州市立美術館の前身である八幡美術館(1963年開館)からの影響が大きいとのことであった。また、ボランティアについては、既に『北九州市立美術館美術ボランティア20年誌 美術の森の中で』でも語られているように、当時の館長であった谷口鉄雄氏がアメリカを訪問した際に、ボランティア活動を視察し、北九州市立美術館でも導入するようになったとのことである(注3)。満生氏のインタビューにおいて我々インタビュアーが強く感じたのは、美術館活動の理念や枠組みに対するこの谷口氏の与えた影響の大きさである。各講座やボランティア養成研修の中身は学芸員たちが考えていたようだが、美術館としてどのような教育的な活動をするべきかという枠組みや理念は谷口氏によって構築されたようである。満生氏のインタビューの後、開館当初から活動を行っているボランティア4名(1期生1人、2期生3人)にもインタビューを行ったが、彼らによると「リビングミュージアム」という言葉は、谷口館長がしばしば言っていたとのことである。満生氏も「谷口館長がやりなさいということを、我々は試行錯誤しながらやっていた」とインタビューで述べている。谷口氏が発案したことを実現させるために若い学芸員たちが試行錯誤し、その中からだんだんと各活動が形作られていったと考えられる。ボランティアの養成等についてはさらに掘り下げてインタビューを行ったが、その内容は、研究者養成に近いものがあったようである。ゼミ発表の形式でボランティアに発表をさせる、また雑誌等への執筆も、ボランティアが行っていたとのこと。このようなプロフェッショナルな活動が、ボランティアの自信となり、その後、例えば地域の人々のための鑑賞ツアーなどに自主的な活動にも発展して行ったようである。現在、同館は休館中であり、ボランティア活動も休止中であるが、休館前までこのような形が引き継がれて行ったとのこと。さらに、担当者だけでなく、ボランティアにインタビューを行ったお陰で分かってきたことがある。それは、ボランティアと学芸員との距離が非常に近いということである。つまり、学芸員たちが、ボランティアと人間的な関わりを持ちながらお互いに成長しつつ、活動を構築して行ったことが見えて来たのである。このようなボランティアと担当者との関係性については、同館だけでなく、北部九州における美術館ボランティア組織の中に見られるように思う。これについてはさらに個別の調査が必要かと思うが、北部九州の館に見られる、担当者とボランティアとの密接な関わりや、活動内容がギャラリーツアーと資料整理が中心となっているのは、同館のボランティ― 319 ―― 319 ―
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