ア組織の在り方が、大きく影響しているのではないかと思われる。2)長田謙一氏(名古屋芸術大学)へのインタビュー場所:首都大学東京日にち:2017年2月13日(金)インタビュアー:降旗千賀子、鬼本佳代子美学・美術史の研究者であり、1980年代から美術館の教育的動向を見つめ支援してきた長田氏に、教育普及に関心を寄せるきっかけからお話を伺った。このインタビューは、教育普及に対する長田氏個人の興味の始まり─岩手大学にて教鞭をとられたときから美学・美術史と美術教育の両方のフィールドを受け持つことになり、さらにドイツの美術教育の動きに関心を持った─を皮切りに、1980年代から現在までの美術館の教育活動の動きを、客観的な視点で俯瞰する内容となった。まず、再確認することになったのは、1992年に東京と横浜で開催された2つのシンポジウム「街から美術館へ 美術館から街へ─日本・ドイツ美術館教育シンポジウムと行動1992」、「美術館教育普及国際シンポジウム1992」(注4)の美術館教育普及への大きな影響である。長田氏もそれまでは一来館者として各館の動きを見ていたが、「街から美術館へ 美術館から街へ─日本・ドイツ美術館教育シンポジウムと行動1992」で実行委員の一人として準備をすすめるなか、各担当者とコンタクトをとることになり、美術館側からの視点も知ることとなった。また、シンポジウムには200人もの参加者が押しよせ、それまで思ってみなかった教育普及への関心の高さが見られたとのことであった。このシンポジウムの後、例えば1995年の水戸芸術館におけるMoMAの鑑賞教育活動に関するシンポジウムや、福岡市美術館で開催された北海道立近代美術館との教育活動についてのシンポジウムのように各地でも美術館教育に関するシンポジウムや研究会が開催されたとのことである。また、1980年代からの宮城県美術館、世田谷美術館、目黒区美術館のような表現系・実技系の担当学芸員によるワークショップを中心とした活動、セゾン美術館のツールを使った活動から、1995年のMoMAの鑑賞教育のシンポジウムに続く「対話型鑑賞」を中心とした活動という流れは、現在の美術館の教育活動を考える上でも非常に興味深いものであった。それに加え、「教育」が美術館の中で力を持つようになりながらも、他の学芸の活動から切り離され、専門化されることになったために、それまで表現系・実技系の学芸員が行ってきたように、多様でかつ状況を打開するような思いがけない教育活動というものはなくなってきたのではない― 320 ―― 320 ―
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