となっている。また、これをきっかけに学校に美術作品を持って行く出張アートも行っているとのことであった。最後にボランティアについても少し話を伺った。同館でもボランティアが活動を行っているが、これは美術館協力会という組織が別にあり、ボランティアは館にではなく、その協力会に所属している。運営自体が完全に独立しており、会の運営は会費によってまかなわれているとのこと。これは少なくとも北部九州のボランティアの在り方とはかなり違っており興味深いものであった。総括北海道立近代美術館、そして北九州市立美術館という1970年代に開館した2つの館については、これまでインタビューを行った兵庫県立近代美術館(注8)も含め、1970年代に開館した美術館として、いくつかの共通項が見られた。それは、開館当初の若い学芸員たちに、これからの美術館とはどうあるべきかという理念的裏付けをした人物がいたということである。つまり、北海道立近代美術館においては倉田公裕氏、北九州市立美術館においては谷口鉄雄氏、そして兵庫県立近代美術館においては増田洋氏である。もう一つは、教育普及を行うのが、専門の学芸員ではなく、各学芸員が順繰りに担当していたという点である。これらのことが、地方美術館の特徴であるのか、あるいは1970年代開館の美術館の特徴であるのかは、もう少し調査が必要であろう。一方で、1980年代に主に関東に現れる表現・実技系の学芸員を中心とする教育活動とは、運営方法やよりどころとなる理念構築の点で異なっているものの、展示・ワークショップ・ギャラリートークなどの手法にこだわらず、来館者にどうアプローチするか、美術館の活動としてどのようなことが可能かという模索の中からさまざまな活動が生まれていることは共通点として興味深く、そこが、1970年代から80年代をつなぐ点であるのかもしれない。その一方で、「学芸」と「教育・普及」を分けて考えるという70年代の流れが、長田氏が指摘したように、今日の「学芸」の活動と「教育・普及」活動の乖離という結果につながる可能性も否定できない。以上については、より深い分析を要する点として留意しておきたい。一方、長田氏と佐藤厚子氏のインタビューからは、1980年代からの鑑賞も取り込んだ体験を重視したワークショップ活動の影響がいかに大きかったかがわかった。しかし、そのインパクトや内容は次世代に引き継がれているとは言いがたい。2008年の連続インタビューもそのような理由から始められたのは、前述した通りである。また、「美術館教育研究会」の活動や調査などのデータの蓄積は非常に貴重な資料であり、― 323 ―― 323 ―
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