1937年、彼はフランス国立挿画本委員会の設立に関わり、同年のパリ万国博覧会「近代的生活における芸術と技術」展では、パヴィリオン展示「書籍部門」における「挿画本および美術本」部門の統括者を務め(注3)、同時に作家として「ジロドゥの小説」という展示も行った(注4)。ダラニェスが『パリ1937』を出版したのは、この万博の開催を目前に控えた時期であった(注5)。出版日は、奥付によると「1937年7月14日」である。エッセイと版画の執筆・制作依頼から印刷を経て出版に至る工程やそれに要した期間はいまだ明らかではない。しかし今回の調査の結果、おおよその制作時期の見当をつけることができた。挿画に描かれた風景の多くに冬枯れした木々が描かれている。今回の作品調査は11-12月に行い、風景の特定ができた作品については、冬枯れ状態まで一致することが確認できた。画家たちの多くは1936-37年の秋冬の時期に、屋外の実風景に取材して描いたと考えると、画家たちへの作品制作の依頼時期は遅くとも1936年秋より前と考えられる。これについては、ダラニェスの当時の書簡等資料の調査で、今後解明が期待できる(注6)。3.『パリ1937』の装丁と個別の挿画作品について500部の限定出版のうち、これまで北海道立近代美術館所蔵の「限定番号452番」のみを実見していたが、今回あらたにパリ市歴史史料館(Bibliothéque Historique de la Ville de Paris)所蔵の2点、「限定番号274番」(未製本)、「限定番号305番」(製本済み)を確認できた。前者は、道立近代美術館所蔵の「452番」と同様、二つ折りで4ページ分をなす一枚一枚が重ねられた束が表紙紙で包まれた仕様である。後者は、糸かがりが施された製本で、背表紙は赤い革に金文字で題名「PARIS1937」とある。これら3点は、いずれも頁数および内容が一致している。未製本のまま出版され、持ち主によっては、「305番」のように製本家に出して好みの装丁に仕立てさせたと考えられる。また、3点いずれにも使用されたヴェラン紙(注7)に、同じ透かし模様(ハートの形の上部に3枚の葉)が確認できた。ダラニェスの工房で制作された書籍作品には、3枚の葉を冠したハート型の内側にイニシャルGとDを組み合わせた記号を入れた紋章が印刷されることが多いが、本作品の中表紙および奥付にもそれが見られる。1935年の個展図録には、これとあわせ、若干縦に細長い形状で、イニシャルの書かれない紋章が印刷されている。イニシャルの入ったものと、入っていない細長いものの少なくとも二種類が使用されていたと考えられる。フランク氏への取材により、ダラニェスは自らの出版物のために紙を発注する際に、出版人として用いている紋章を透― 327 ―― 327 ―
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