人物表現は初期と思われる作品でも認められるが、高年の画ではより顕著となる。身体、衣服の描き方はパターン化されており、量感は重視されない。衣文は、なめらかな曲線はなく、直線を平行に描いて表すことが多い。岩の輪郭線は一定の太さと水分を保った線で描かれ、ひだは薄墨による色面と点描、所々小さな波を描くような曲線を、一体化させて表している〔図1-3〕。岩と川面には、淡い藍色を施す。以上は浚明の画風の特徴といえる。『詩経』に倣ったのであろう文王を称賛する四言古詩を自書し、箱書きも自身によるものと思われる意欲作だが、昭和6年(1931)11月17日に新潟の超願寺で行われた入札会で出品されたものとわかった(売立目録『中蒲原郡高橋家・西蒲原郡山田家両家所蔵品入札』)。②「松竹梅鶴図屏風」 紙本着色 六曲一双 各縦151.1×横319.0cm 室生寺蔵〔図2-1〕奈良県宇陀市の室生寺に所蔵された屏風(注6)もまた、来歴は不明である。両隻に描かれたのは水辺の鶴で、右隻は松に牡丹と沙羅、左隻は雪の積もる竹と梅、椿を添える。岩の輪郭は肥痩のある線で描いており、部分的な墨の濃さが目立つ。ほか、樹幹や松葉、鶴の羽毛などの描き方は狩野派の学習が窺える。たとえば、竹の節に芽がありそこから茎に添って筋(芽溝)を描いているが〔図2-2〕、これは京都・南禅寺の狩野探幽筆「竹虎図襖」に類似した表現である。署名の「法眼浚明製」はいくつかの作品に見られ、その使用期間は明らかではない。だが、前述した描き方は①「文王田渭陽図」の画風とは隔たりがあり、浚明の画歴では前半期に位置づけられると考える。本屏風は収蔵庫ではなく管長室の脇に仕舞われていたもので、当寺では屏風の所蔵自体が珍しいという。書画蒐集で近代に手に入れたものではないことは確かであり、制作後比較的早い段階で当寺に納められたのではないだろうか。③「富士・橋立・松島図」 絹本淡彩 三幅 各縦102.0×横34.0cm 個人蔵〔図3〕本作品も「法眼浚明製」の署名をもつ(注7)。富士図を中幅として、天橋立、松島の三景を描く。水面に淡い藍色を施しており、モチーフは一定の水分を含んだ筆で描き、遠景はごく薄い墨を用いる。以上は浚明の特徴といえるが、①「文王田渭陽図」のような岩の皴法は見られない。三幅それぞれに和歌が添えてあり、各筆跡は異なっている。箱書きは、「三景 三― 24 ―― 24 ―
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