尚石道を登り盡したる處濶然(かつぜん、うちひらけたさま)打開け漢江の長流を望む坂を下れば村落あり關門ある是臨津の鎮西門なり門には我が番兵ありて韓人の出入を厳にす門は水に臨めり江上より雪舟元信の筆にある如き風光を賞し去に惜しき處なり漢江に差し掛かったときの光景に感動した様子がよく分かる文章であり、この印象をもとに「漢江渡頭春光・青石関門秋色」が描かれたと考えて間違いない。この時代、日本で漢画系山水図を描く場合、通常、先行作品を参考にしながら想像の中国風景を描くことになる。それに対して自身が実際に見たという喜びが、画面に生き生きと表されている。実見に基づいた景色、いわゆる真景を対象にしていることが「漢江渡頭春光・青石関門秋色」の大きな特徴といえ、「鳳凰城合戦図」と同じく、この作品も同時代的な画題であるといえるだろう。作品の描き方を見てみよう。六曲一双の大画面に山水のパノラマが展開される。屹立する山容が重心となり画面にバランスよく配置され、全体に整理されてすっきりした構図となっており、景観を見渡す気持ちよさが感じられる。墨色のコントラストもはっきりしており、画面を引き締めていて、爽やかである。このような特徴は戦国時代の狩野派が描いていた真体の山水図に近い。狩野元信の「西湖図屏風」〔図10〕と比較すると、湖面をめぐって、前景、中景、遠景で構成される安定した堅固な構成が共通していることが分かる。一方で、岩皴に用いられる筆は鋭く、コントラストが極めて強い。写実的というより、筆線の勢いを生かして岩の形を取っている〔図11〕。このような描き方は室町時代の雪舟のものに近い〔図12〕。以上より、この作品が狩野元信と雪舟の画法を意識して描かれていることが分かる。雪舟と元信という選択は、米僊が漢江の風景を見たときに感じた「雪舟元信の筆にある如き風光を賞し去に惜しき處なり」という感想に基づいたものだと考えられる。もちろん、作品全体がそのまま雪舟や元信を踏襲したものではなく、色彩は新鮮で画面に近代的な明るさをたたえており、目の前が突然明るく開けた、という回想をよく表している。墨線の使い方は古風である一方、色彩は明るいという二面性が、かえって近代性を強調している。「漢江渡頭春光・青石関門秋色」は、画題を真景とし、国民新聞という近代メディアを通じて、日本にいる多くの鑑賞者に朝鮮の時事を報道することを目的として描かれている。それは、物事を正確に、追懐できるように伝えるという絵画の社会的責任を果たすためだと米僊は考えていた。では、画法には雪舟と狩野元信という、先人のものが選択されているのはなぜか。― 343 ―― 343 ―
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