㉝ 近代絵巻の基礎的研究─前田青邨を中心に─研 究 者:福井県立美術館 学芸員 椎 野 晃 史はじめに本稿は、近代日本画家のなかで最も積極的に物語絵巻を制作した前田青邨を議論の対象とする。横山大観は「昔から絵巻物を私ほど描いたものはありますまい」(注1)と自称するように、近代において風景描写に特化した画巻形式の作品を最も多く制作した画家である。一方で青邨もまた画業を通じ多くの絵巻を制作し、近代における物語絵巻の旗手として位置づけられる。近代絵巻をめぐる先行研究のうち、青邨の絵巻について展覧会制度との関係性を指摘した濱中真治氏の論考は重要である(注2)。濱中氏は、展覧会芸術と絵巻制作の関係について論じており、物理的なフォーマットの変容(巻子装から額装へ)、詞書の否定や鑑賞形態の変化に伴う「絵画の自立性」という近代絵巻が内包する重要な問題を指摘している。本稿は氏の「展覧会芸術としての絵巻制作」という視座を継承しつつ、物語絵巻に限定して、「絵画の自立性」について考えるものである。そのケーススタディーとして、人間国宝美術館所蔵「山幸海幸」を紹介し、若干の考察を加えたい。1.「山幸海幸」絵巻について青邨の画業のうち、特に海幸山幸譚を主題とした作品が多いことは注意を要する。あらすじは文末の詞書に譲るが、海幸山幸は『古事記』、『日本書紀』に記される神婚始祖神話であり、神武天皇の誕生にまつわる物語である。巻子作品に限定しても、大正13年(1924)の再興第11回院展に出品された「彦火々出見尊」(所在不明)をはじめ、同年の「神代之巻」(東京国立近代美術館)、昭和2年(1927)に開催された個展の出品作「山幸海幸」(人間国宝美術館蔵)、そして晩年の第29回春の院展出品作であり、古事記に著わされた各物語をオムニバス形式で描いた「古事記」に至るまで(注3)、青邨は繰り返し同主題を描いている。主題論については別稿を期したいが、このように海幸山幸譚は、画家にとって重要なテーマであったことがうかがえる(注4)。まずは未紹介の「山幸海幸」〔図1〕の概要を確認しよう。本作は、18段の絵とそれぞれの絵に対応する小杉放菴の詞書を伴う。紙幅の都合により各場面の解説は省略― 348 ―― 348 ―
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