するが、作品データおよび詞書の翻刻は本論末尾を参照されたい。本作は昭和2年(1927)刊行の『靑邨画集』に絵の部分のみが掲載されており、同年12月6日から9日まで、大阪高島屋で開催された前田青邨個展の出品作であると考えられる(注5)。近代に制作された絵巻として詞書を持つ点、さらにその詞書が放菴によることは特筆されるが、発表当初から放菴の詞書が付されていたわけではない。詞書部分は別紙貼り付けで、巻末の放菴の奥書に拠れば本絵巻制作から8年後の昭和10年(1935)正月に加えられたようである。さて各モチーフの描写は省略されているものの、登場人物のうち海幸彦山幸彦ら地上の男性像は、金の冠を被り、角髪を結い、衣、帯、褌、沓といういわゆる衣褌姿に太刀を下げ、足結いの鈴など様々な装飾品を身に着ける(注6)。青邨は多くの上代武具、埴輪の写生を残しており、例えば第12、13段にみえる武具類(短甲や眉庇付冑など)や第18段に描かれる須恵器など、実際の写生に基づき画中へと転用されている〔図2〕。さらに第1段にみる海幸彦山幸彦の立ち姿、あるいは身体のプロポーション─肩の張り出しに対する細い腕など─は、青邨がスケッチした群馬県太田市由良出土の「埴輪 武装男子」を思わせるなど、埴輪の造形そのものへの接近さえうかがわせる。このような埴輪を通じた上代の時代考証、あるいは埴輪の形態そのものへの興味は、例えば安田靫彦が昭和3年(1928)に発表した「居醒泉」にも看取され、考証上の正確さに腐心する当時の画家の姿勢が垣間見られる(注7)。また、本作は白描画である。墨線を主体に、人物の装身具など部分的に金泥(赤金、青金を併用)や淡彩を施す。線は総じて抑揚が少なく柔らかい筆致を見せるが、人物の輪郭線に見られる素朴な筆遣いと波涛や動物・魚の軽妙な線の対比など、強弱、濃淡を駆使した多様な使い分けも認められる。モチーフは単純化され、細部の描き込みを省略して輪郭のみを抽出する。段落式の選択により分節化された各場面は、自己完結性が高まり、一場面あたりの横幅に若干の多様性はあるものの、総じて各場面は並列的に扱われる。基本として画面の視点は人物の高さとほぼ水平で、一部鳥瞰して描くが、全体的に対象へ近接した構図が多い。そして総体としてモチーフの立体感、あるいは空間の奥行が抑えられていることから、画面の平面化が顕著であり、簡潔な画面が構築されている。次に同主題を描いた他の巻子作品をみていこう。現存作例では、東京国立近代美術館所蔵の「神代之巻」〔図3〕が広く知られている。本作は海幸山幸譚のうち、針を無くした後の場面から始まり、龍宮を訪問、針を取り戻して地上へと戻ってくるまでを墨一色で描く。本作は連続形式を採用し、またその線描は即興的といえ、制作志向― 349 ―― 349 ―
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