る。いずれにせよ物語のプロットを支えるべきはずの後景が必要以上にせり上がっているが、空間の設定を詳細かつ豊かに描き出すことで、物語が展開する舞台に具体性を持たせ、また物語の基層に流れる情緒を演出する手法が採られている。加えて「御輿振」では、巻頭に朝の情景を、巻末に夜の情景を配置することで時間の移ろいを明示し、また「竹取物語」ではかぐや姫の成長と共に時間がゆるやかに進行するなど、絵巻内の時間的展開にも画家の注意が払われている。これらの構成要素は物語を豊かに語りだすためのサブテキストにあたり、テキストに対して従属的な関係にあるといえよう。一方で、渡欧後初めて院展に出品した「彦火々出見尊」では、物語の舞台となる空間描写、あるいは登場人物の心理描写は抑制され、物語に流れる時間感覚は希薄である。渡欧前の諸作と比べれば、物語の展開を支えそして潤色するサブテキストは極端に減退しているといえ、物語のプロットはあくまで出来事として叙事的に語られるのである。つまり渡欧前と渡欧後では、文学的な内容の処理に大きな違いが認められる。このことについて平福百穂の批評を引用すれば、「彦火々出見尊」は「運筆の興味に駆られたものであろう」(注14)と筆線の研究を志した作品として位置づけている。白描という表現の選択により、モチーフは線と簡潔な形に置き換えられ、さらに細部と奥行きの省略によって平面化が促され、明晰な画面が構築されている。結果、「線」とその集合体である「形」という「純視覚的な緊張関係」が画面全体を覆い、文学性は後退を余儀なくされているのである。青邨は、「山幸海幸」と同じ趣向を持つ昭和49年(1974)制作の「古事記」について「春の院展に出品した古事記を題材にとった十何枚かの作品は、ただ線一本でかいています。そこで私は、人物を描くのに輪郭だけをかいたのでしたけれど、自分の、いわゆる空気がでているつもりです。花を描くにも、昔だったら花のまわりを暗くして花をうきたたせて、花らしく見せるようにしていきました。今は線だけでも気持ちが出ている、と私は自分ではそのつもりでいます。動から静へというか、まあ進歩、といっていいのではないかと思っています」(注15)と述べている。青邨は線によって①自分の空気を出すこと、②(対象の)気持ちを出すことをその意図として挙げ、それはすなわち③「動から静へ」の発展であると述べている。この言葉はそのまま「山幸海幸」にも適用でき、先の秋山氏の指摘を思い出すならば、本来「物語」のイメージを運ぶ乗り物であるはずの絵巻は、展覧会という場において「画家」のイメージを運ぶ乗り物と化し、それぞれの立ち位置が逆転するのである。展覧会に出品された絵巻が、画家のイメージを運ぶ乗り物と化すならば、文学性の後退は必然的であっ― 352 ―― 352 ―
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