【図版出典】図1 図2、6─『前田青邨展』(日本経済新聞社、2001年)より転載。図3 図4 図5 【詞書翻刻】第1段 むかし火照の命は海幸彦とてもろ〵〳の魚を取り/たまひ火遠理のみことは山幸彦とてすべての/けものをとり給ふ。茲に山幸ひこ兄の海さち彦/に各その佐知を易て見はやとて三度乞ひてわ/つかに易へ得たまひき第2段 山幸彦海の佐知もて魚釣るにかつて一つの魚/をも得たまはずはたその鉤をさへ海に失ひた/まひぬ第3段 海さち彦も山の佐知もて山に行きしにかつて一つ/の獲物もあらさりきかくて海さち彦山さちも/己かさち〵〳海さちも己かさち〵〳今は各佐知/返さんと云ふ第4段 山幸彦は其兄に失ひし鉤をはたられて自ら十/つかの剣を破りて五百の鉤を作りて償ひたまへど/取らず千の鉤を償ひ給へどもあなかちに元の/鉤を返せとぞ云ひける第5段 やまさち彦はせん方なく海邊に泣きて居ます/時に鹽椎の翁あはれみてまなしかつまの小舟/を造り与へてわたつみの神の国へ行きて見たま/へと教へたり第6段 教の如くわたつみの国に行きて其の宮の御門の前/なる井の上の湯津かつらの木の上におはしましたま/へば第7段 わたつみの女豊玉姫のをみな水ぐまむとて来て木の上/なる命を見てあやしと思ひてとよ玉姫に白/したり第8段 豊玉姫出て見て乃ち見愛てゝ目合して父の神に/わか門にうるはしき人居ますと白しけれは父の神/出て見て即ち内に入れ奉りて八重疊にませまつり/百取りの机し御饗へしてとよたま姫を婚せま/つりぬにおける埴輪の考証、そして「山幸海幸」にみられる埴輪の類似作については、花井久穂氏にご教示いただいた。⑻実見の結果、本作は表装部分にも本紙から伸長する墨線が確認されたことから、表装された状態で描かれた可能性が考えられる。詳細は不明であるが、展覧会への出品とは異なる制作背景が想定できるかもしれない。⑼春山武松『大阪朝日新聞』1924年9月6日⑽小杉未醒・平福百穂『国民新聞』1924年9月8日⑾秋山光和「画禅三昧・作画三昧─青邨文集のあとに─」『作画三昧』新潮社、1979年、283頁⑿前掲注⑵⒀前田青邨「『お水取り』絵巻を描く」『藝術新潮』10巻9号、1959年9月⒁前掲注⑼⒂前田青邨「画家のことば」『藝術新潮』301~306号、1975年1月~6月⒃前田青邨『私の履歴書35』日本経済新聞社、1969年、188頁─執筆者撮影。─『前田青邨─その人と芸術─』(山種美術館、1994年)より転載。─『日本美術院百年史』5巻(財団法人日本美術院、1995年)より転載。─『定本 前田青邨作品集』(鹿島出版会、1981年)より転載。― 354 ―― 354 ―
元のページ ../index.html#364