鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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㉞ ロマン主義時代における歴史風景画に関する研究─ミシャロン《ロランの死》(ルーヴル美術館蔵)を中心として─研 究 者:ふくやま美術館 学芸員  鈴 木 一 生問題提起歴史風景画(paysage historique)とは、17世紀のアンニバレ・カラッチやニコラ・プッサンが描いた理想風景画を模範とし、主に古典古代の物語を主題とし、実際の自然を参考にしながらも「自然がありうるように、豊かな想像力により天才の眼に映し出されるように(注1)」構成された風景画である。ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ『芸術家のための実践遠近法基礎(注2)』で推奨され、19世紀前半におけるアカデミーの風景画の規範とされていた(注3)。しかしながら、ヴァランシエンヌが推奨する古典古代を主題とした歴史風景画は、1810年代後半以降にすでに一般の趣味とは乖離していた。王政復古期のサロンにおいて歴史風景画は、自然を参考にせず、自然を「創り上げようとするうぬぼれた思い上がりだけを見せている(注4)」と一部の批評家からは強い批判を受けている。多くの先行研究は、この時代の歴史風景画は「無味乾燥(注5)」であり、後の自然主義風景画の発展に寄与しないものとして研究の対象とせず、近年の研究のほとんどはこの時代の風景画家たちが戸外で自然を直接捉えた習作へと向けられてきた(注6)。だが歴史風景画が一般に受け入れられない状況を受け、若い画家たちの風景画はその完成作においても変化しつつあった。本稿では、第1回ローマ賞歴史風景画部門の受賞者であるアシル=エトナ・ミシャロンが描いた《ロランの死》〔図1〕を対象とし、本作の制作経緯と同時代受容を調査することにより、ロマン主義時代と呼ばれる1815年以降の歴史風景画の変化の一側面を明らかにする(注7)。先行研究《ロランの死》は、フォンテーヌブロー城ディアーヌの回廊を飾るための国家注文作であり、1819年のサロンに出品されたミシャロンの代表作である。フランスで最古の武勲詩といわれる『ロランの歌』を主題とし、暗い画面の中に自然の情景が荒々しく描かれたミシャロンの絵画は、彼の前世代の画家が描く歴史風景画とは一線を画しているように思われる。実際、本作に関する数少ない先行研究は、この歴史風景画をそれ以前の新古典主義風景画とは異なるものとして言及している。ローゼンタールは、「ミシャロンはロマ― 359 ―― 359 ―

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