鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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全体の展示プログラム次にこの国家注文の展示について見ていく。〔表1〕は、1838年時点でディアーヌの回廊に展示されている絵画と展示場所をまとめたものである(注18)。王政復古期の展示の様子を陳述する資料が見つけられなかったため、約20年後の7月王政期の展示になる。想像の域を出ないが、1819年以降、何点かの作品をルーヴルに移動するため入れ替えはあったものの、大筋は変えられていないと予想される。王政復古期に作品が移される際には、公文書で報告がなされている。例えば《ロランの死》は、1822年のミシャロンの死後、ルーヴルにこの芸術家の作品がないことから、作品はパリに移動され、代わりにアントワーヌ=フェリックス・ボワスリエの絵画を飾ると11月20日付の報告書に記されている(注19)。このような例は数えるほどしかない。〔表1〕の順番は、ディアーヌの回廊のプラン〔図4〕の矢印の方向を進行方向とした形で番号を付けた。窓側が左になる。この〔表1〕を見る限り、展示の順番に意図を見出すことはできない。ミシャロンへの注文経緯にも見たように、各画家には作品の寸法と大きなテーマだけが提示されていたのであろう。注文された画家のほとんどは風景を専門とする画家であり、その他に戦場画家やフランソワ=マリウス・グラネやシャルル・ブトンといった当時流行していた内景画を専門とする芸術家の名を見ることができる。その主題は、中世から近世にかけたもので、最も多いのがアンリ4世であり、革命後に返り咲いたルイ18世の正当性を擁護する意図があったのは明白なように思われる。次に多いのがフランソワ1世と関連する主題であり、アンリ4世と同様にフォンテーヌブロー城との関係の深さから好んで選ばれたことが予想される。フォンテーヌブロー城と王政を称賛する主題と同時に、この装飾プログラムで目立つ主題が、中世を舞台にしたものである。中世の騎士道精神を称賛するためにジャン=ジョゼフ=グザヴィエ・ビドーとボワスリエは、フランスの英雄主義を見事に体現するバイヤールの物語から主題をとっている。国のために命を落とすバイヤールを称賛する物語は、帝政期にベンジャミン・ウェストが描き〔図5〕、よく知られていた。これらの主題選択には、ミシャロンとの共通の主題選択意図を見出すことができる。ところで先に挙げた、ヴェルネ親子の代わりにディアーヌの回廊のために新たに注文が出された画家には、ミシャロンのみではなく、すでに風景画派の巨匠であったヴァランシエンヌの名があった。古典古代への愛着が特に強かったこの歴史風景画家は、この装飾プログラムにはそぐわない、共和制ローマの英雄であるミトリダテスのいる情景を描くことになる〔図6〕。実際の自然を参考にしながらも、それを構成し、中景にはギリシャ風の神殿が描かれたこの風景画は、この装飾プログラムに異質のも― 362 ―― 362 ―

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