㉟ プレ・ロマネスク期写本の装飾イニシアルの研究研 究 者:東京藝術大学 美術学部 教育研究助手 安 藤 さやかはじめに西欧中世写本に於いて発展した、文頭を強調するイニシアル(装飾頭文字)は、古代末期の誕生以後様々な装飾モティーフを取り入れ、時代・地域ごとにそれぞれ異なる特色を見せる、写本画独自の表現領域として発展した(注1)。特に8-9世紀には、地中海世界とケルト=ゲルマン系民族の芸術の双方に由来する装飾モティーフがカロリング朝写本の中で混交し(注2)、紀元一千年前後迄には、後に到来するイニシアルの黄金期、即ちロマネスク芸術の前提となる装飾語彙が、各地に伝播していた。本研究は、カロリング朝からオットー朝を経てロマネスク期へ至る前の、所謂プレ・ロマネスク期の写本に於けるイニシアルを取り上げ、二つの地域間に於ける伝播・影響関係の具体的解明を試みるものである。研究対象は、現在の北東フランスに位置するコルビー修道院と、その娘修道院であり現在のドイツ西部に位置するコルヴァイ修道院に由来する写本のイニシアルとする。1.コルビー修道院の彩飾写本アミアン近郊に位置するコルビー(Corbie)修道院は、657-661年の間に、メロヴィング朝フランク王国の王クローヴィス2世の妃であったバティルトと、その息子クロタール3世によって創設された(注3)。創設時の修道士や蔵書はアイルランド出身の聖コルンバヌスによって創建されたリュクスイユ修道院より集められ、コルビー修道院はメロヴィング朝からカロリング朝にかけてフランク王国の王立修道院として、膨大な写本を制作・所蔵する知的生産の中心地の一つへと発展を遂げることとなる。同修道院がカロリング朝宮廷権力と密接に結びついていたことは、修道院長を務めたアダラルドゥス(Adalardus, 在位780-820年)やワラ(Wala, 在位824-836年)が、ともにカール大帝の従兄弟であったことからも窺える(注4)。コルビー修道院はカロリング朝期の学問的要所であり、同地の写字室・図書室に由来する写本については主に古書体学の分野で研究が進められているにも関わらず、美術史学の立場からは、同修道院の写字室の地域ないし時代様式という点では殆ど研究されてこなかった(注5)。現存する写本のみから同修道院に由来する彩飾写本の総体を正確に把握することは難しいが、古書体学的・写本学的分析によって既に特定されているコルビー写本の目録に基づき(注6)、同地で制作された写本のミニア― 371 ―― 371 ―
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