鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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チュールの様式的傾向を推測することは可能だろう(注7)。コルビー修道院に由来する8-9世紀の写本のイニシアルは、動物文、植物文、組紐等の幾何学文に加え、人物像等、多様なモティーフを装飾語彙としている。まず、メロヴィング朝からカロリング朝初期にかけて制作された写本の中で最も典型的なものが、鳥魚文イニシアルであり、例えば8世紀中葉のアンブロシウス写本(サンクトペテルブルク、国立図書館、Lat. F v I 6)のイニシアルが挙げられる〔図1〕。鳥や魚といったモティーフによって文字を組み立てる手法はメロヴィング朝期の写本に頻繁に見られるが、このようなイニシアルは同地の写本では、例えば8世紀後半の『イザヤ書注解』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 11627)の幾何学文イニシアルと併用された〔図2〕。鳥魚文や幾何学文からなるイニシアルに加えて同修道院で多く見られるのは、四足獣などの動物を用いたイニシアルである。例えばカロリング朝期のコルビー修道院に所蔵されていたことが分かっているユスティノス写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 4950)のイニシアルのように、獣頭のみを備えるものもあれば〔図3〕、やはり周辺の写字室で制作され同修道院に所蔵されていたアウグスティヌス写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12168)や、修道院長マウルドラムヌス(Maurdramnus、在位771-780年)の治下で制作された《マウルドラムヌス聖書》(アミアン、市立図書館、Ms. 7)のように、躍動感ある全身の動物モティーフで文字を構成するものも確認できる〔図4、5〕。9世紀初頭のコルビー修道院の写字室で最も特徴的なイニシアルは、人物像を備えるものである。《コルビー詩編》(アミアン、市立図書館、Ms. 18C)は、人物像を伴い詩編の内容を想起させる挿絵としての機能を持つ「物語イニシアル(historiated initial)」を多数備える他〔図6〕(注8)、『文法書』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 13025)等〔図7〕、同じ写本画家によると思われる2点の写本で、イニシアルに人物像が用いられているのを確認することが出来る(注9)。但し、こうした人物像や動物を多分に用いたイニシアルは、現存する挿絵入り写本から判断する限り、同修道院で長きに亘って好んで用いられた訳ではなかったようだ。9世紀半ばには、線描による挿絵入り写本が同地で制作された一方で、人物像を含む物語イニシアルではなく、硬質な線描の組紐文によって装飾するフランコ=サクソン派の様式がコルビー写本のイニシアルにも浸透する。9世紀中葉の二つの『典礼書』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12050;パリ、国立図書館、Ms. lat. 12051)のイニシアルを見ると、アカンサスの葉が有機的に文字に絡むイニシアルが〔図8〕、そのコピーと思われる写本では、金属的な線による厳格で無機的な「装飾イニシアル― 372 ―― 372 ―

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