(ornamental initial)」となり、鳥頭のモティーフも組紐模様によって解体されている〔図9〕。フランコ=サクソンの様式は9世紀後半に宮廷権力と密接に結びついたサン=タマン、サン=ベルタン、サン=リキエといった修道院で支配的になったが(注10)、コルビーも例外ではなく、これによって同修道院の装飾語彙豊かなイニシアル芸術は、一度終焉を迎えたのである。2.コルヴァイ修道院の彩飾写本コルヴァイ修道院はルートヴィヒ敬虔帝のもと816年にヘティに開基され、822年に現在のヘクスターに移転、844-848年に献堂された、ザクセン地方最古のベネディクト会修道院である。コルビー修道院の娘修道院として設立された為、「新しいコルビー(nova corbeia)」の意でコルヴァイ(Corvey)と名付けられた。カール大帝の従兄弟でありコルビーの修道院長でもあったアダラルドゥスとワラを修道院長として迎えた為、創立当初はコルビーを中心とした北フランスの修道院から多くの写本が齎されたようである。カール大帝の宮廷学校に倣い修道院学校が設立され、8-9世紀のコルビーと同様に、同修道院は9-10世紀にはザクセン地方の文化的中心地へと成長を遂げる。同修道院に由来する写本については、古書体学による研究により目録化が進められ(注11)、またコルヴァイ修道院の世界文化遺産登録に伴い、9世紀の創立時から19世紀初頭の修道院解体までの蔵書を総覧するプロジェクトが立ち上げられた(注12)。しかし写本画に関しては、1966年にコルヴァイで開催された大規模展覧会のカタログや、G. バウアーによる未刊の博士論文以降、まとまった研究は出ていないのが現状である(注13)。今日までにコルヴァイ修道院の写字室に同定されている彩飾写本を見る限り、同地の写本は、母体となったコルビーの写字室に於いて8世紀後半から9世紀前半にかけて開花した実り豊かな装飾語彙を継承はしなかったようである。コルビーからコルヴァイへ齎された最初期の写本である《コルヴァイの福音書》(パーダーボルン、大司教座図書館、Ms. Hux. 21a)は、ミニアチュールとしては簡素な共観表を備えるのみである。コルヴァイに由来する彩飾写本で特徴的なのは何よりも、金銀を用いた枠で縁取られ緋紫色羊皮紙を思わせる地色で塗られた、豪華な全頁大イニシアルである。10世紀中葉から後半にかけて制作された一連の豪華福音書写本(ニューヨーク、ピエポント・モーガン・ライブラリー、Ms. M. 755;ヴォルフェンビュッテル、ヘルツォーク・アウグスト図書館、Cod. Guelf. 84. 3 Aug. 2;ボルティモア、ウォルターズ・― 373 ―― 373 ―
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