あるいは「上から土砂を被せられ生き埋めにされる人物」と解するのが適当のように思われる。また、同様の人物が四隅全てに描かれるあたり、どうやら生き埋めにされる人物は1人や2人ではなく、多数いるようである。次に取り上げたいのは第172窟の作例である〔図5〕。この窟はもと僧房窟だったものを改装しており、そのため左壁のほぼ中央から出口へ向かう甬道が通じている。おそらく改装の際に煉瓦などで塞がれていたのが後に崩れたようで、壁面に穴があいて壁画が大きく破損してしまっている。図の壁画はちょうどこの左方にあって、画面右半が失われている。全体的に剥落も激しいが、辛うじて図像を窺うことができ、画面左上隅と左下隅には同様の「生き埋めの人物」が確認できる。まず左下隅の描写から見ると、この人物は先に見たものとやや姿勢が異なり、土砂と思しき塊の内部に蹲った姿で描かれている。左上隅の人物はこれを左右反転した姿で、やはり同様に塊の中に蹲っている。先の2作例では人物は山の下敷きになったようなイメージであったが、こちらの表現は「中に埋もれている」というのが相応しい。特に上端の例では、山岳状の塊はあたかも波が被さるような描写で、やはりこれは土砂が上から被さってくる表現と推測されよう。図6は第163窟の作例である。調査期間の制約もあって、図は簡単なスケッチを作成するに留まったが、画面下の左右に「生き埋めの人物」が明瞭に観察された。また仏の右に仏弟子が2人確認でき、あるいは説話の中に僧団の場面があることを想像させる。以上、確認し得た作例は計4点を数えた。それぞれに破損を被り元の図像が辿りにくいが、相互に補う形で丹念に観察すれば充分に図像が再現でき、その特徴的な描写についても知ることができた。次章では、壁画の図像的特徴から画題を特定してみたい。2.壁画の画題と説話の性格前章では壁画の図像を復元的に観察し、その特徴を指摘した。そこから想定される説話は、まず国王の帰依を説いた説話であり、主要な舞台は王宮だが僧団の描写をもつ可能性が高く、また「土砂などを被せられ生き埋めになる人々」またはそれに近いイメージが語られるもの、と推定されよう。これらの条件を満たす説話を仏典から探していくと、『根本説一切有部毘奈耶』(注5)にある「善音城」の説話に目が留まる。同説話はサンスクリット文献『ディヴィヤ・アヴァダーナ』にも収録されており(注6)、また『雑宝蔵経』(注7)にも同内容の説話が収録されるなど、比較的知られた― 384 ―― 384 ―
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