ものであったらしい。その大要は以下である。善音(ロールカ)城を治める仙道(ルドラーヤナ)王は、王舎城の影勝(ビンビサーラ)王と好を通じていたが、あるとき夫人の月光(チャンドラプラバー)が舞う姿に死相が現れ、七日後に夫人は死んでしまった。彼女は直前に出家した功徳で天人に転生し、王に出家を薦める。仙道王は影勝王に伴われて教団に釈尊を訪ね、出家して阿羅漢となる。ところが位を譲られた息子の頂髻(シカンディン)王は佞臣に唆されて次第に暴虐になり、父の元へ刺客を送って殺害してしまう。親殺しと阿羅漢殺しの罪を二重に負った彼は、またも佞臣に唆されて仏法を弾圧し始める。あるとき王は、路上で仏弟子迦多演那(カーティヤーヤナ=迦旃延)尊者に出会い、大衆と共に土砂を投げつけ生き埋めにしてしまう。心ある大臣二人が慌てて彼を救出したが、尊者は神通力で室を作って凌いでおり「七日の後に天から土砂が降り城は埋もれてしまうだろう」と預言した。七日後、話を聞いた頂髻王が城を脱出すると城内に宝の雨が降り、先の二大臣はこれを集めて船で城を去った。入れ替わりに王が城へ戻ると今度は土の雨が降り、王や大衆もろとも都城の全てを埋めてしまったという。迦旃延は城の女神と共に空中を飛んで脱出し、諸国を遍歴したのち釈尊のもとに帰って報告した。釈尊は仙道王の前世を「独覚を殺してしまい悔い改めて供養した猟師」、頂髻王は「楼閣を掃除していて独覚の頭上に塵を落とし何ら悔いなかった長者の娘」、城の大衆は「長者の娘を真似て独覚に塵を投げた町の人々」であると説いた。以上が説話のおおよその内容である。複雑な展開のある長い説話であるが、先に見た壁画の特徴「国王の帰仏」「生き埋めになる人々」などのイメージが、いずれもこの説話の主要場面として説かれているのが理解されよう。特に目を引くのは説話のクライマックス、土砂が降って城が埋もれてしまう場面である。それは城の住人たちが受けた過去の報いと説明され、「城の埋没」だけでなく「人々の生き埋め」が強調される。一連の壁画が持つ最も目を引く特徴「生き埋めになる人々」のショッキングな表現は、正にこのイメージを描いたものといえよう。管見の及ぶ限り、この壁画の画題としてはこの「善音城の物語」が最も相応しいと思われる。作例はいずれも破損が多いため従来知られていなかったが、現地調査の成果を踏まえ、ここに新たな図像を指摘し画題を比定することができたように思う。3.西域における「善音城」説話の意義キジル石窟壁画の一作例が「善音城」の説話であることを論じてきたが、この説話は後世まで西域で長く親しまれていたことが指摘されている。まず唐の玄奘が『大唐― 385 ―― 385 ―
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