鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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結西域記』に、于闐国の伝承としてほぼ同様の説話を紹介している(注8)。記述は于闐国媲摩城のくだりである。かつて北方の曷勞落迦城で、霊験像を崇拝していた尊者が迫害に遭って生き埋めにされかけ、その報いとして砂の雨を預言する。七日後、実際に城は砂に埋まって滅びてしまい、尊者は像と共に空中を飛行し脱出した。像は尊者とともに媲摩城に飛来し、現在も信仰を集めている。一方、曷勞落迦城の跡は現在は砂丘となっており、人が財宝を掘り出そうとして近づくと暴風が起き、砂塵が巻き上げられて道を見失うという。媲摩城の伝説は、先の「善音城」説話から王の因縁を省略し、「女神」を「霊験像」に置き換えて尊像の由緒を語っているわけだが、基本的な筋書きは同一といってよい。興味深いことに、1901年に現地を訪れた英国のスタインが、媲摩城の遺跡について村人から同様の説話を聞き取っている(注9)。ただし話の内容は「聖者の呪いによる砂の雨」と、「そこから脱出する七人の賢者」という話に変化している。話の主体は災害から逃れる住民の側に移っており、長い年月の間に民間説話として完全に土着化していることを窺わせる。伝承の例はこれに留まらない。尾白悠紀氏によれば16世紀のイスラム文献にも似た説話が収録されているという(注10)。説話の内容はむしろシンプルで、主人公の聖職者が、信仰に無関心な町民への神罰として「砂の雨」を預言し、町が埋まり人々が生き埋めになる中、ただ一人の追随者と共に町を去るという筋書きである。尾白氏によれば、他にも同様の説話は17世紀頃のイスラム聖者伝に三例ほどが知られているという。説話「善音城の物語」は西域では民間にかなり定着していたようで、オアシスの風土を投影しながら様々に翻案されてきた様子が窺える。これが石窟壁画として多く描かれているのは、西域における独自の宗教感情を示すものとして興味が持たれよう(注11)。キジル石窟壁画の一作例を取り上げ、図像を復元し画題比定を試みた。そこに見出されたのは些かショッキングな表現を持つ独特な図像で、考察の結果それは仏教説話「善音城の物語」に比定された。この説話は西域仏教のあり方を考える上では象徴的な内容といってよく、仏教説話の枠を超えてその後も長くタリム盆地に伝承されたものであった。羽渓了諦氏は、この説話を西域での創作という(注12)。確言は難しい― 386 ―― 386 ―

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