者像〔図5、6〕である。これらの供養者像は無装飾のチュニックの腰部に締めたベルトの中央から先端の尖った飾りが垂れている点(注9)が特徴的である。また足首までのズボンに靴を履き、足首に細い帯状のものが看取出来る点も共通する。マトゥラーの一作例〔図6〕ではこの帯に円形の留め金が認められるが、これはマート出土カニシュカ1世立像〔図3〕やアフガニスタンのクシャーン朝神殿址スルフ・コタル出土のカニシュカ1世立像に認められるものと同様、靴の上でズボンの裾を留めるためのものである。他の供養者像ではこの留め金は確認できないが、彫刻の規模に応じて省略されたものと考えられる。こうした細部までが共通することは、カーピシー、マトゥラーそれぞれに同じ装束の供養者が実際に往来していたことの反映であろう。このような遊牧民系の供養者像を表した彫刻群のうち、年記を伴う作例はカーピシーやガンダーラには確認されず、マトゥラーにのみ、数例が認められる。そのうち弥勒菩薩坐像(下半身のみ現存)の台座〔図7〕にはフヴィシュカの29年を記す銘文が確認される(注10)。これは近年の研究(注11)に依拠すれば西暦182/3年にあたる。この台座にも遊牧民系の男性供養者が表現されており、ベルトの垂れ飾りは確認できないものの、無装飾のチュニック、足首までのズボンと靴、ズボンの裾を留める帯が認められることから、先述のカーピシー、マトゥラーに共通する供養者像とほぼ同時代とみて差し支えなかろう。マトゥラーにはこの他にカニシュカの20年を記す仏坐像台座(注12)の断片〔図8〕にも遊牧民系の供養者が彫刻されている。この供養者像も無装飾のチュニックを着用するが、明らかに膝下まで丈がある点が異色である。装束の形式から見れば、カーピシー派の供養者像はフヴィシュカ29年銘の台座の供養者像により近いため、年代的にもカニシュカの20年すなわち西暦147/8年より少々下るものと位置づけるべきだろう。以上のように、マトゥラーとの比較によってカーピシー彫刻の制作年代が2世紀後半まで遡りうる可能性が示された。遊牧民系男性供養者像のその他の装束や女性供養者像の装束については紙幅の都合で割愛せざるを得ないが、本研究とは異なる考古学的なアプローチでカーピシー派彫刻の制作年代の最盛期を2~3世紀と想定する研究結果(注13)が提示されていることを付記しておく。このように様々な側面からカーピシー派の制作年代が検討され、近い年代が導き出されることは重要なことだろう。また本稿ではカーピシー派の様式編年を検討する余裕は無いが、これについては別稿を準備中であるため、別の機会に譲ることとしたい。― 392 ―― 392 ―
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