鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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2.カーピシー派弥勒菩薩の印相次に、右手で五指を伸ばした左手を掴む印相〔図9〕について検討する。これは従来、ガンダーラの比較的後期の仏・菩薩像に看取される説法印が形式化したものと解されてきた(注14)。しかしガンダーラの説法印〔図10〕は上方へ集めた左手の指先を右手で柔らかに包むという仕種であり、右手から左手の指先が突き出すカーピシー派の印相とは明らかに異なる。さらに、ガンダーラでは説法印は仏陀にも菩薩にも認められるのに対して、カーピシー派の場合はこの印相を結ぶ仏陀像は現存せず、弥勒菩薩に特有の印相であるという点も看過出来ない。カーピシー派においては単独礼拝像ではなく「兜率天上の弥勒菩薩」図(注15)〔図9〕あるいは「弥勒菩薩の供養」図中の本尊となる弥勒菩薩にこの印相が看取される。しかしガンダーラにおいては、単独礼拝像の弥勒菩薩像が説法印を結ぶ例はあるものの、上記2主題の主尊たる弥勒菩薩〔図11〕は施無畏印である例がほとんどで、説法印を結ぶ例は皆無であるという決定的な差異がある。では、このカーピシー派弥勒菩薩に特有の印相は何を意図したものなのか。両地域の「兜率天上の弥勒菩薩」図や「弥勒菩薩の供養」図といった作例は『観弥勒菩薩上生兜率天経』(以下『上生経』)成立以前に既に、兜率天に死後再生して弥勒菩薩に知遇を得ることを求める信仰が行われていたことを示すものであることが指摘されている(注16)。すなわち、これらの作例は『上生経』の記述に依拠して制作されたものではないが、『上生経』成立とこれらの作例の制作が軌を一にするものである可能性や、これらの作例を創出した当時の信仰の在り方が『上生経』成立を促した可能性も否定できない。『上生経』には弥勒菩薩が兜率天の宮殿にある獅子座上に忽然と化生した後、蓮華座上に結跏趺坐して諸天子のために説法することが説かれている(注17)。この記述は「兜率天上の弥勒菩薩」図にある程度合致しており、例えばギメ美術館所蔵の同主題〔図9〕では楼閣内の獅子座に弥勒菩薩が座して件の印相を結び、その左右には弥勒菩薩を仰ぎ見る天人が配されている。弥勒菩薩は結跏趺坐ではなく交脚椅坐だが、『上生経』が図像の直接的な典拠ではないという前提に立てばこうした不一致はそれほど問題ではない。弥勒菩薩が本来王座である獅子座(注18)に、やはり王者の坐勢である交脚(注19)で座することは、弥勒が兜率天の主・支配者であることを意識したもの(注20)で、むしろ獅子座や交脚椅坐の図像伝統を持つガンダーラやカーピシー地域で採用されたこれらの図像が『上生経』の記述に取り入れられたと見るべきではないだろうか。『上生経』に語られる通り、弥勒は兜率天において説法しているのであるから、カーピシー派に見られる胸元にて右手で左手を掴む印― 393 ―― 393 ―

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