鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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相は、従来の見解の通り説法印と解釈するのが妥当であろう。では、ガンダーラに見られる説法印とこのカーピシー派説法印の形状の差は何に起因するのか。カーピシー派をガンダーラ美術の中でも技術的衰退や時代的な後発と理解する立場からは、前述のようなガンダーラの説法印が、カーピシー地域において形式化したものということになるだろうが、本研究では前項の結論を受けてこの前提から一度離れ、異なる可能性を考察したい。ガンダーラにおける説法印は、従来の研究でもガンダーラ美術の後期に位置づけられる大構図の仏説法図や仏三尊像〔図10〕の中尊の印相として表れる(注21)。ガンダーラにおいては、これより制作時期が遡る「初転法輪」を表した仏伝図(注22)においては、説話の内容からみても明らかに説法しているはずの釈尊は施無畏印をとる場合がほとんどであり、このことからも説法印という印相自体が施無畏印や禅定印に遅れて成立したものであることが窺われる。すなわち、ガンダーラにおいては「初転法輪」図においても釈尊が施無畏印を示す図像が定着しており、彼が説法を行っていることを表すために説法印を採用する必要はなかったと言える。ガンダーラにおいては「兜率天上の弥勒菩薩」図を描く場合にも弥勒菩薩の印相としては施無畏印がほとんどで説法印を結ぶ例が確認されないことからも、同地域では仏・菩薩の説法の場面を表す際に、説法以外の場面と同様に施無畏印を用いることが当初は一般的であったことが判明する。ところが大構図の説法図や仏三尊像は当時新たに創出された図像であり、それまでの図像伝統や巷間に流布した説話・信仰で理解することができないが故に、中尊の仏陀が説法を行っていることを印相によって示す必要があったと考えられる。翻ってカーピシー地域では、「初転法輪」を描いた作例は知られていない。唯一その可能性があるのがショトラク出土の四面に表された浮彫〔図12〕の一つで、結跏趺坐する仏陀が右膝の下部に置かれた法輪に右手の指先で触れている作例である。この法輪の存在によってこの仏陀が説法を行っていることが明らかとなる(注23)。カーピシーでは「初転法輪」の図像が普及していなかったためにこのような表現をとったものと考えられるが、同じく説法をしているはずの「兜率天上の弥勒菩薩」図においては弥勒菩薩が法輪に触れる表現は見られない。この法輪に触れる仕種は右手の甲を正面にして指先を下方へ向けるもので、指先に法輪が無ければ「降魔成道」の際の触地印と区別がつかない。実際にこのショトラク出土の四面の浮彫では他の面に降魔成道〔図13〕が彫刻されており、両者を比較するとその差は法輪の有無のみである。カーピシーではそもそも施無畏印で説法を表現する図像伝統を持たないために、このように他の印相と混同される恐れのある仕種を避けて、説法を行っていることを視覚― 394 ―― 394 ―

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