㊳ 東福寺画壇における頂相制作の基礎的調査研究研 究 者:佐賀県立美術館 学芸員 立 畠 敦 子吉山明兆(1352-1431)は東福寺南明院の第二世住持もつとめた禅僧で、画僧として寺院で使用する公用の仏画や頂相(注1)を作画した。特に頂相は偉大な祖師の姿を留めその法脈を表し伝えるものとして保持され祖師忌などに使われた。明兆筆の頂相はバリエーションが豊富で且つ比較的多く伝えられており、これらを詳細に調査し頂相の使用方法と制作契機について考察し、東福寺での頂相の使用例などから、頂相を始めとした仏画を取り巻く「場」について一考する。まず、明兆の描いたと考えられる頂相、そして明兆落款の入る比較的有力な頂相を挙げると以下の様なものである。・明兆筆の頂相聖一国師像 1幅 京都・東福寺〔図1〕聖一国師岩上像 1幅 東福寺〔図2〕蔵山順空像 1幅 京都・永明院〔図3〕大道一以像 1幅 奈良国立博物館(明徳5年(1394))春屋妙葩像 1幅 京都・光源院〔図4〕円爾像 1幅 山口・正慶院白崖宝生像 1幅 伊勢崎・泉龍寺〔図5〕・明兆落款の頂相百丈懐海像 1幅 個人慧明禅師像 1幅 個人応庵曇華像 1幅 個人破庵祖先像 1幅 正木美術館〔図6〕聖一国師像 1幅 正木美術館 性智賛円爾弁円像 1幅 正木美術館在先希譲像 1幅 京都・霊源院在山素璿像 1幅 京都・東福寺(応永13年(1406))〔図7〕明兆筆の頂相についてまず挙げられるのは、聖一国師(円爾弁円)像(京都・東福寺)である(注2)。縦267.2cm横139.4cmにも成る大幅であり、画面いっぱいにわた― 401 ―― 401 ―
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