鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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ふまえても東福寺系の画像を写し明兆周辺で制作されたものであると考える。・列祖図一円三祖像 1幅 京都・東福寺〔図8〕夢窓 黙庵 周崇 三僧像 大岳周崇賛 1幅 正木美術館〔図9〕釈迦三尊三十祖像 7幅 京都・鹿王院(応永33年(1426))四十祖像 40幅 京都・東福寺(応永34年(1427))二十八祖像 1冊 静嘉堂文庫美術館これら列祖図といわれるものは、一幅に3人を描いたものや、一幅に5人を描き全部で30人を表したもの、一幅に一人を描き28人28幅、40人40幅としたものなど多様で、その頂相人物は寺々の法脈を表すものとなっている。祖師の特徴をふまえており、例えば初祖達磨は赤衣を纏った姿、六祖慧能は頭巾を被った姿という定形のものから、夢窓疎石や春屋妙葩のように顔貌表現が既存の祖師のものと似るものなど、既存の頂相をもとにした可能性が高いものが多く、頂相を考える際に重要な作例として挙げることができる(注4)。次にこれら頂相の使用例について見ていく。禅宗寺院内にある祖師堂に掛けられている姿として『五山十刹図』(大乗寺)にみられる綱紀堂を挙げる。ここには綱紀堂つまり、祖師堂に達磨が安置され(注5)、ほか慧可、百丈、寺の開山以下九代までを堂内の三面に掛け、中央に大きな香炉が置かれている。また、禅林内で執り行われる法会のうち、開山忌や祖師忌は大変重要な法会とされ法堂で頂相を掛けて仏事を行うことが多くあった。元の順帝の勅命で14世紀初期に編まれた『勅修百丈清規』(大正新脩大正藏經 巻四十八)には、祖章第四に「達磨忌」「百丈忌」「開山歴代祖忌」「嗣法師忌」の4つが挙げられる。そのうち祖師忌の最たるものである「達磨忌」では「先期堂司率衆財營供養。請製疏僉疏(佛涅槃同)隔宿如法鋪設法堂。座上掛真。中間嚴設祭筵爐瓶香凡。上間設禪椅拂子椸架法衣(設床榻者非也)下間設椅子経案爐瓶香燭経巻」と法堂において座上に真(頂相)を掛けて中間に祭壇を設営し香炉や花瓶を置き、上間には禪椅拂子椸架法衣を設置し、下間にも椅子を設置し香炉・蝋燭・経巻を置くとある。これは大徳寺五百羅漢図中の「上堂」の幅(画題は『大徳寺伝来五百羅漢図』、思文閣出版、2014年による)を連想させる。掛眞とはその法会の際に像を安置するこ― 403 ―― 403 ―

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