更点を知ることができる。次に春屋妙葩の定めた『鹿王院遺戒』(鹿王院文書二七一)には、仏光国師、仏国国師、祖師忌、大檀那忌のことについてふれ、怠慢無く行うよう述べた後、頂相を掛けた記事がある。「一東西両塔年忌月忌及旦望諷経之時、西(両)序宜在仏前中央立班、仏国(高峰顕日)先国忌辰諷経時、須掛其頂相於中塔内老僧影像前而立班其前、(後略)」掛眞をし、諷經・行道し仏事を行うというもので、更に各回忌の諷経時の作法について、尊宿入寂後の中陰百日小祥大祥年忌月忌などの諸仏事をきちんと行うよう遺戒している。『勅修百丈清規』には「百丈忌」「開山歷代祖忌」「嗣法師忌」も達磨忌に準じるとの記述があり、東福寺においても開山忌が、法堂や開山堂で掛眞し行われた例が先述した「東福寺清規」に見られる。東福開山忌では、前日16日の宿忌に御影(彫刻)を法堂の上に上げ、椅子の上に安置し、安置し終わると、鈸、鼓をならし、下がるという次第で行われる。開山忌の当日は聖一国師の開山堂である常楽庵で「常楽荘厳 開山忌客殿掛二十八祖像、中央ハ佛鑑ノ像也、佛鑑國師并ニ乃祖(注7)、此ノ三所ニハ有茶湯、用土器也、諸祖前掛打敷ヲ、各各置華瓶ト香爐、(後略)」とあり、二十八祖像と佛鑑と時の住持の2幅を並べていたことがわかる。つまり開山忌毎に住持の頂相を制作する必要があったようである。また、書記寮では、「一 文林和尚ノ記録ニ曰、當寮ノ(書記寮)祖師、或曰黄龍(慧南)、或曰大慧(宗杲)ト、今也観當寮ニ所掛之頂相者、實大慧ノ像也、亦何ソ疑ハン」とあり、仏事としての儀礼ではなく日常から頂相が掛けられているという頂相の使われ方が見られる点で特筆される。このように見ていくと頂相はこれまで考えられていたより多様な使用の方法や制作契機があることがわかる。頂相については多くの先行研究があり、頂相は師の法を継いだ証として渡されたものだという所謂「印可証明説」と、祖師忌など寺の法要に掛― 405 ―― 405 ―
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