左壁と、半跏思惟像と5体の菩薩立像を表す右壁からなる(注17)。朱氏は、半跏思惟像を弥勒と解釈するならば、左壁に表された如来の右膝の上で供養する人物は、釈迦の説法を通して授記を受けている場面と解釈できるという。右壁には半跏思惟像の周囲に5体の菩薩像が表されるが、菩薩像の手先や視線がすべて半跏思惟像の方を向く点はキジル石窟の兜率天説法図と共通することから、兜率天に上がった弥勒菩薩を表したものとする。その上で、右壁に表される半跏思惟像は、左壁での授記の結果、「一生補処の菩薩」となった弥勒菩薩であると見なすことが可能で、その傍証として左壁の供養菩薩が捧げる蓋付きの持物と、右壁の一番左側の菩薩が持つ持物が同一であるとし、右壁と左壁が連続性をもって展開する一連の場面であるとされた。この見解に従えば、鳳凰里磨崖像は上生信仰と強く関わる可能性があるだろう。ここでは特に、左壁の供養者が右腰から垂下させる環を通した帯飾りが、半跏思惟像がつける腰佩に通じる点に注目したい〔図4-2〕。腰佩は半跏思惟像の特色の一つであるが、供養者が帯飾りの一部を臀部に巻き込む点も半跏思惟像を連想させる。この帯飾りについて大西修也氏は、三国時代に導入された現実の服制を反映している可能性が高いとされるが(注18)、むしろこの供養者が半跏思惟像と同一であることを暗示しているのではないだろうか。すなわち、左壁は弥勒の授記の場面を表しており、供養者は『上生経』において、世尊が「此の人成仏すること疑なし」と言って授記された(注19)という弥勒菩薩にあたるかも知れない。鳳凰里磨崖像は、上生信仰に基づく造像である可能性もあるだろう。以上のように近年の研究を踏まえると、半跏思惟像とともに表される如来像は一概に下生後の弥勒仏として解釈できるものではなく、あるいは上生信仰に密接に関わる可能性も想定されよう(注20)。一方で、上生信仰と下生信仰の双方が関わる造像とみられるのが、近年韓国内最多の磨崖仏群として注目された(e)邑内洞磨崖像である。3.邑内洞磨崖像の図像について邑内洞磨崖像〔図5-1〕は、不規則に突出した特異な形状の岩壁に、合計32体の仏菩薩比丘像と線刻九層塔を刻んでおり、地元の人々の間では、この岩壁の前にはかつて池があったと伝わる(注21)。本磨崖像は2011年に三国時代の作として再注目されたが、この見方には懐疑的な意見もあり、未だ本格的な調査報告や論考がないのが現状である(注22)。本報告では群像中に半跏思惟像が表されることに注目し、弥勒信仰との関わりから主要な図像について解釈を試みる。― 418 ―― 418 ―
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