鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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2.第一次世界大戦前後における古典への回帰とアングル受容《アヴィニョンの娘たち》とアフリカの仮面の類縁性が指摘されるように、キュビスムとアフリカ芸術の密接な関係はしばしば言及されてきた。しかしキュビスムが誕生した当時、ピカソやブラックの作品が主にギャラリーで展示されたのとは異なり、サロンで作品を発表していたサロン派と呼ばれるキュビストたちはそれとは別の文脈で自らの芸術運動を方向付けようとしていた(注5)。たとえば、ジャン・メッツァンジェは、プレ・ルネサンスからセザンヌまで続く美術史において、ゴシック、ロマン派、印象派を脱線とみなし、自分たちこそがギリシアへと回帰し、新しい形態を提示しうる存在であると主張する(注6)。そのために、とりわけサロン派のキュビストの間では対象の全体を捉えるべく、対象を一点から描く遠近法ではなく、非ユークリット幾何学、4次元等の理論が盛んに取り上げられた。彼らは画家による対象の変換、画布上に出現する作品の構成、形態の出現を主張しているのであり、それは時間の中で移ろう対象の一瞬の姿を描き写したとされる印象派批判になっていた。印象派を乗り越えるべくキュビストたちは、単に視覚によって対象を模倣するのではなく、そこから新たな形態を抽出するという意味において、理想美を目指した古典主義芸術に賛同したのである。しかし、勿論彼らが目指したのは古典芸術と同種の理想美ではなく、対象の全体像を捉え、見たままを描くことでは到達不可能な真実を描くことであった。そのとき、対象のデフォルメさえ厭わなかったアングルが称賛されたのである。またこの芸術動向の背後に、普仏戦争やフランスの世論を王党派と共和派に二分したドレフュス事件を機に第一次世界大戦以前にすでに蔓延していたナショナリスムの風潮が存在した事実も指摘しておくべきだろう。その後第一次世界大戦が勃発すると、「野蛮なドイツ」対「ラテン文明」という図式のもと、古典を自国の起源とし、フランス精神の深い表現を目指したナショナリスムの傾向が一層顕著になる。この時期のピカソやセヴェリーニ、レジェらが描いた具象的作品に見られるように、古典芸術が参照され、秩序や調和の表現が試みられながらも、単に模倣には終わらない前衛と古典の融合が目指されたのである。3.前衛芸術家の古典への回帰に対するブルトンの態度それでは、《アングルのヴァイオリン》が発表された『リテラチュール』誌にかかわった後のシュルレアリストたちは、以上の古典への回帰の傾向に対していかなる態度を取っていたのか。本研究では『リテラチュール』誌の編集長であり、シュルレア― 34 ―― 34 ―

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