鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
446/507

㊶ 抽象表現主義の版画制作「序」「1940年代の版画制作」研 究 者:国立新美術館 研究補佐員  武 笠 由以子抽象表現主義は第二次世界大戦後のニューヨークで形成され、1950年代にアメリカ美術として初めて国際的な評価を得た芸術動向である。抽象表現主義の作品は大きなカンバスを支持体に用いた油彩画を中心とするが、画家たちの多くは1940年代に版画制作に触れた経験をもっている。多くの作家の場合、版画制作は一時的なものであり、油彩画によって注目を高めた1950年代には版画制作から離れるが、1960年代になると再びリトグラフを中心とした版画制作を始める者が現れる。彼らにとって、版画は他の芸術家や刷り師との交流をもたらし、また新たな造形表現の着想源となるものであった(注1)。抽象表現主義は大胆な筆の動きや鮮やかな色面を特徴とする大規模な油彩画によって評価を得たため、紙を支持体とする小規模な作品は過小評価される傾向にあった。先行研究においても、抽象表現主義の形成とその展開における版画の重要性が十分議論されているとは言えない。そこで本論では、1940年代における版画制作が抽象表現主義の形成と、それを特徴づける絵画様式の確立に影響を与えたこと、そして1960年代以降の版画制作は円熟期の絵画様式を反映していると同時に、すでに確立された絵画様式から新しい展開へ向かう試みであったことを考察する。以下では、1940年代と1960年代以降の2つに時期を分けて、抽象表現主義の作家たちの中で特に版画制作に関わった者を取り上げて、その制作活動を考察する。ヨーロッパでは19世紀後半、リトグラフの普及に伴い、画家によるポスターなどの版画制作が行われるようになり、20世紀前半には挿絵本やモノタイプが芸術の一形態として盛んに制作された。これに対して、同時期のアメリカでは、版画は複製や副次的な作品として未だ軽視される傾向にあり、また版画を制作する場所は大学や美術学校の施設など少数に限られていた。そのような中、1940年に英国人版画家スタンリー・ウィリアム・ヘイターがニューヨークで版画工房アトリエ17の運営を始めたことは大きな意義をもっていた(注2)。当時、第二次世界大戦の激化を受けて、ヨーロッパから前衛芸術家たちがアメリカに亡命しており、著名なシュルレアリストたちの多くがニューヨークで活動していた。― 436 ―― 436 ―

元のページ  ../index.html#446

このブックを見る