鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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アトリエ17は彼らの制作拠点の一つとなったと同時に多様な芸術家たちに広く門戸を開き、アメリカの若手画家たちが版画制作に触れ、シュルレアリストの創作活動を間近で知る機会を与えた(注3)。アメリカの画家たちはこの芸術運動に高い関心を示しており、アトリエ17で版画を制作した作家としてはジャクソン・ポロック、ロバート・マザウェル、ウィレム・デ・クーニング、マーク・ロスコ、アドルフ・ゴットリーブらが挙げられる(注4)。彼らの中で、ポロックとゴットリーブはその画業の初期において重要な版画作品を制作している。そこでまず、ポロックの制作活動を見てみたい。1940年代前半にポロックは後のポード・ペインティングの原型といえる絵画表現を試みており〔図1〕、そこには複数の着想源があると考えられる。1940年代始め、ポロックはシュルレアリスムへの興味を共有する友人たちや同世代のシュルレアリストたちとオートマティスムの実験を行っていた(注5)。それに加えて、アトリエ17での経験が、オートマティスムからポード・ペインティングの技法を導く重要な要因となっている。1944年から翌年にかけて、ポロックはアトリエ17でドライポイントとエングレーヴィングによる11点の凹版画を制作した(注6)。《無題》〔図2〕では画面左端に人物が立ち、フォークやアルファベットなど判別可能な要素がちりばめられ、具象と抽象の中間段階を示しており、《無題》〔図3〕を見ると、画面全体が肥痩のある様々なタッチの線で覆われている。このような表現を促した要因の一つとして、ヘイターがアトリエ17にあるアンドレ・マッソンの版画《誘拐》〔図4〕をポロックに見せた可能性が挙げられる(注7)。マッソンは1920年代にオートマティック・ドローイングを描いているが、彼が1941年から1945年までの間にアトリエ17で制作した18点のエッチングにも同様に縦横に走る線の表現が見られる(注8)。また、缶から絵の具を垂らす手法であるオシレーションはマックス・エルンストによる実験的技法として知られ、ポード・ペインティングとの類似を顕著に示すが、ヘイターは、自分がこの手法を考案し、エルンストとポロックに勧めたと語っている(注9)。アトリエ17では参加者たちは経験や知名度にかかわらず、肩を並べて作業を行い、互いの制作過程を見て、その成果を自分の制作に取り入れることができた(注10)。そのため、アメリカの画家たちは新しい芸術を探究する中で、シュルレアリストたちの制作活動を手本とし、また批判的に観察することができた。シュルレアリスム運動に草創期から関わっていたエルンストやマッソンは、無意識の理論や非合理性に強く惹かれ、個人的な記憶や抑圧された衝動の表現手段としてのオートマティスム― 437 ―― 437 ―

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