に魅了されていた。これに対して、ヘイターは1930年代からパリのシュルレアリストたちと親しく交流していたことから、その技法や理論にも通じていたが、その運動自体からは一定の距離を置いていた。彼がオートマティスムを版画や絵画に応用する際に、その技法的、造形的な可能性に重点を置いていたことは主要なシュルレアリストたちとは異なる点であった。ヘイターによれば、多数のオートマティック・ドローイングを描き、それらの紙を重ね、光に透かして見ると、共通の画面構造や線の方向性が見出される(注11)。この手法は、自分の無意識に蓄積されたイメージを芸術的表現に取り入れることを意図している。また彼はアトリエ17で考案した技法を用いて、事前の構想なしに自由に手を動かして、オートマティックな版画を制作することを工房の参加者に勧めていた(注12)。ヘイターのオートマティスムの考えは、ポロックのポード・ペインティングと造形的な類似を示すだけではなく、即興的な手の動きによる描画によって無意識の中にあるイメージを表出させるという点で、その参照元となったのと考えられるのである。一方でアドルフ・ゴットリーブは、シュルレアリスム絵画からコラージュやデペイズマンといった手法や、ギリシア神話という主題を学び、古代の絵文字を連想させるモチーフを用いることでシュルレアリスムの原始美術への関心に新たな解釈を加えている。彼は自分のスタジオにエッチング・プレス機を設置し、1933年から1947年または1948年まで、そして1966年から1974年に死去するまでの2つの時期に多数の銅版画を制作しており、特に初期の版画制作は彼の絵画様式の展開上、重要な位置を占めている(注13)。ゴットリーブは1940年代を通じて、画面をグリッド状に分割し、それぞれの区画に目や手、顔などのモチーフを配置するフォーマットに基づく作品群、ピクトグラフを制作した。ここには一見関連のないモチーフや身体の一部を併置する点で、シュルレアリスム美術との類似が見て取れる。最初期の作品ではオイディプス神話と関連するモチーフに集中していたが、次第に主題やモチーフ、表現の幅を広げ、その中でも線描を重視した表現は、ピクトグラフが次の絵画様式へと展開する上で重要であった(注14)。《ピクトグラフ》〔図5〕では緩やかな曲線がモチーフの輪郭を示しているが、次第にピクトグラフのグリッド自体が歪みをもつ作品が目立つようになる。1940年代末には絵画においても、目や頭を示す円と関連づけられる形で渦巻きが多用され、迷宮神話を主題とする作品〔図6〕が現れる。オイディプス神話と迷宮神話はシュルレアリスムにおける重要な主題であり、オイディプスやミノタウロスは芸術家の寓意と見なされてきた。これらの神話から着想を得たピクトグラフで隻眼や迷宮を示すモ― 438 ―― 438 ―
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