鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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「1960年代以降の版画制作」チーフを発展させる際、その造形的な源泉となったのが一連のエッチングで試みた線描表現であった。ゴットリーブはシュルレアリスムの受容の過程で、版画から得た造形表現を組み込んだのである。1940年代に一連の版画を制作したポロックとゴットリーブとは異なり、マザウェルは初期には絵画制作を中心に活動したが、彼の版画との出会いはシュルレアリスムを受容する上で重要な役割を果たした。マザウェルは1940年にシュルレアリスト、クルト・セリグマンのエングレーヴィング工房を訪ねており、抽象表現主義の画家たちの中で唯一、主要なシュルレアリストたちと直接の交流をもち、そのアメリカでの活動に関わっていた。アトリエ17では数点の版画を制作したに留まるが、そこでシュルレアリストたちが創作活動を行う現場を目にし、また造形的効果を重視するオートマティスムの可能性を知ったことは、その後、独自にシュルレアリスムについて考察し、芸術観を確立する上で重要な契機となった(注15)。抽象表現主義の画家たちは一種の手本としてシュルレアリスムを学びながらも、常に批判的な視点を保持し、それを乗り越える意図をもっていた。アトリエ17は彼らにシュルレアリスムの制作現場に触れる貴重な機会を与えると同時に、ヘイターからオートマティスムの新たな可能性を教示される場となった。そして版画特有の表現方法を学んだことは、過去の芸術運動を乗り越えるきっかけの一つとなったのである。抽象表現主義の画家たちは1950年頃にそれぞれの絵画様式を確立し、それ以降の油彩画は基本となる絵画様式に、構図や色彩の微妙な変化を加えて展開するようになる。1960年代前半、10年以上に渡って絵画制作に集中していた画家たちの間に、それまで顧みなかった版画制作に関わる者が現れるが、そこには版画制作をより身近にした環境の変化という要因が大きく関係していた。終戦からしばらくの間、アメリカの版画制作にはアトリエ17の活動を除いて、大きな進展が見られなかったが、1950年代後半から1960年代前半に芸術としての版画制作を意図する工房が相次いで設立され、有能な刷り師の協力の下で版画を制作することが可能となったのである(注16)。デ・クーニングがアトリエ17で制作した数点の版画は消失しており、現存する最初期の版画の内、1960年に制作されたリトグラフ《リト#1(波#1)》〔図7〕は、彼の絵画における即興的な描画表現を版画で達成したものとして重要である(注17)。ここでは巨大な画面に大胆な運動の軌跡が現れており、刷りという中間の工程を必要とするリトグラフで、即時性と直接性という特徴を実現している。また、これらはネ― 439 ―― 439 ―

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