鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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リスムの創始者の一人であるアンドレ・ブルトンに注目する。ブルトンがナショナリスムの流れに通ずる芸術運動に批判的だったのは想像に難くない。事実、1923年3月23日の『パリジャーナル』紙に発表した「さまざまの隔たり」では、「ルネッサンスの御旗をちらつかせながらも、じつは私たちを時代の深淵の底へひきずりこむという陰険な駆け引きを」表している、あるいは「一時は状況の支配者であったキュビスムは、論争をまきおこす術を知らず、結局それをみならい期間の枠内におとしめてしまっている注釈家たちの手で、いまや死に瀕している」と述べ、主に古典に回帰したサロン派のキュビスムを批判している(注7)。加えて古典美術の技法を研究したジョルジョ・デ・キリコや「秩序への喚起」を発表したジャン・コクトーを痛烈に批判していたことも思い起こされる。しかし、意外なことにアングルの評価は別である。ブルトンは、1919年2月にスイスに在中していたトリスタン・ツァラに宛てた手紙でアングルをお気に入りの画家として挙げている(注8)。また『リテラチュール』誌に掲載された点数付けゲームでも、ブルトンはアングルに20点中17点の高得点を付けている(注9)。さらに、『秘法十七』、『魔術的芸術』でもアングルを肯定的に語っている(注10)。そこから、ブルトンが前衛芸術家の古典回帰に対して批判的態度を示したとしても、《アングルのヴァイオリン》を理解するためにはもう一つ別のバイアスが必要であり、その場合この作品を古典称賛のパロディとみなす先行研究とは異なる結果が導かれることが予想されるのである。そこで、別の観点からこの作品を捉えるべく、《アングルのヴァイオリン》が掲載された『リテラチュール』誌の最終号を改めて見直すと、アポリネールの詩が掲載されていることに気が付く。周知の通り、アポリネールは「シュルレアリスム」の語を生み出した人物であり、さらに同号に掲載されているロベール・デスノスの記事で、ブルトンはアポリネールに近代精神の問題を措定すると述べられていることからも、この詩人に注目する価値は十分にあるように思われる。デスノスの言葉は、ダダそして前衛芸術家たちの古典への回帰との差異化に加え、この語の使用権を巡り、ブルトンがイヴァン・ゴル率いるもう一つの「シュルレアリスム」と熾烈な争いを繰り広げていたことを意味している。そこで、二つのシュルレアリスムを整理するために、まずはアポリネールの芸術観を確認する。4.アポリネールと古典主義『キュビスムの画家たち』(1912)を発表したように、アポリネールはキュビスムを― 35 ―― 35 ―

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