鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
451/507

「結び」規模な油彩画の制作においても共有され、イメージ全体の統一性とそれに応じたスケール、そして周囲に広がる空間の感覚の表出をより強く意識したものになる。版画のマージンを作品の一部として受け入れる態度は、彼がそれぞれのカンバスの大きさに向き合いながら、色面の構成に取り組む制作態度と共通するのである(注21)。ここでマザウェルの制作活動を見ると、1961年に再び版画に着手し、その後450点に至る極めて多数の版画作品を制作している。1965年、マザウェルは565点に及ぶドローイング《抒情組曲》シリーズ〔図13〕を描いており、ここには書や水墨画への関心が反映されているとともに、多数のドローイングを制作する中で、自身の表現を見出すというヘイターによるオートマティック・ドローイングの手法が反映されている。《叙情組曲》と同様の試みはリトグラフにおいて再び探究されている。1966年に制作した《オートマティスムB》〔図14〕では、それまでのリトグラフや《抒情組曲》に比べ、筆致とインクの飛沫によって運動の方向と速さをより明瞭に示しているが、書を連想させる筆遣いを用いて安定した構図を呈示する。また、マザウェルは初期から晩年までコラージュを制作した点でも抽象表現主義の中で稀な作家であり、1971年の《ゴロワーズ・ブルー》〔図15〕はコラージュを版画に応用した最初期の例であり、この煙草の箱はその後の作品にも繰り返し用いられる(注22)。マザウェルにとって、コラージュは日常生活の一部を絵画に取り入れる方法であり、絵画空間に現実の事物を取り込んだキュビスムの手法を受け継ぎながらも、後続の芸術動向であるネオ・ダダの作家たちがコラージュやアッサンブラージュによって芸術と日常生活との垣根をなくそうとした試みと共鳴するものだ(注23)。マザウェルは各々の主題のために純粋な造形表現を探究する抽象画に、日常の世界への直接的な言及であるコラージュと複製可能な版画を組み合わせることで異なる2つの方向性を示しているのである。1940年代、後に抽象表現主義として知られるようになる画家たちが版画制作を経験したことは、彼らがシュルレアリスムを学び、それを超克して新しい独自の芸術を確立する過程で大きな意義を有していた。アトリエ17でシュルレアリスムの制作活動に触れ、ヘイターからオートマティスムのもつ造形表現の可能性を学んだこと、そして版画表現を絵画に応用したことが、その展開に大きく寄与したのである。1950年代に抽象表現主義は戦後アメリカ美術を代表する芸術動向とみなされるようになったが、その後も画家たちは自身で確立した絵画の刷新と更なる展開を図ってい― 441 ―― 441 ―

元のページ  ../index.html#451

このブックを見る