2.2014年度助成①抽象表現主義の絵画における文字性の問題研 究 者:広島大学大学院 総合科学研究科 准教授 大 島 徹 也問題の所在1940年代、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングをはじめとする幾人かの抽象表現主義の画家たちは、一般に言われる「抽象的」で「表現主義的」なその動向の全体的方向性のもと、ある一つの興味深い共通的な現象を生み出していた。それは、彼らの“painting”(絵画/絵を描くこと)における“writing”(文字を書くこと)の導入、ないしそれへの接近である。このような問題はこれまで個々の抽象表現主義者についての研究の中で、個別にいくらか考察されてはきた。しかしながら管見の限り、その問題に抽象表現主義全体の視点から着目し、体系的に取り組んだ研究はまだない。西洋の近代以降に限って見ても、絵画と文字の関係は、もちろん20世紀中葉の抽象表現主義に始まったことではまったくない(注1)。しかしながら、分析的キュビスムやコラージュのように文字の使用がその様式内での一つの確立された仕掛けや手法であったわけでもないのに、なぜ抽象表現主義においては、画家たちが次々にそれぞれのやり方で文字そのものや文字的なものと関わっていったのだろうか。そして、なぜそれが彼ら個々人の瑣末な試みに終わらず、抽象表現主義という動向内での一つの共通的現象と呼べるような注目すべきものとなっていったのだろうか。このような関心のもと、本論では、形成期から成熟期に至る1940年代の抽象表現主義絵画が有する〈文字性〉という一側面に切り込み、その背景や実態、展開を考察してゆく。マーク・トビーの場合─「形」を打ち壊すマーク・トビーを抽象表現主義者とするかどうかについては見解が分かれうるが、少なくとも、これまでの抽象表現主義の展覧会や研究書にしばしば含められてきたほどにその画家がその動向と関係を持っていたことは事実である。そして、いずれにせよトビーの仕事は、本論を進める上で重要な土台を我々に提供してくれる。1935年、ポロックなどはまだ美術学校を出たばかりで、抽象表現主義の動向が芽生えさえしていない頃、トビーは彼のブレークスルーを徴す「ホワイト・ライティング」と呼ばれる白のカリグラフィックな線描による一連の絵画を開始した〔図1〕。― 447 ―― 447 ―
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