鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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カー・トムリン、リー・クラズナーといった抽象表現主義者たちも、トビーのように「形」や「量塊感」、「空間」と関わる形式上の問題に直面してゆく。そこで彼らの直接の関心事となっていたのは、トビーの言うようなルネサンス的伝統というよりは、モダンアートにおける強大な先行動向であるキュビスム(後期キュビスムまでを含む広義のそれ)であった。批評家クレメント・グリーンバーグは、当時のニューヨークの美術界の状況を次のように回顧している。「1930年代初頭から中葉のピカソのアラベスク様式〔図3〕は、1936年から1940年以降まで、そしておそらくはさらに後々まで、その重々しい、線で仕切られた色彩をもって、強迫的に影響を及ぼした。[……]振り返って見ると、私の知っていた画家たちの多くにとっての主たる問題は、後期キュビスムの抽象の束縛的な限界のように見え始めたものの中で、どれだけ個人的自律性を獲得しうるかということだったように思われる。キュビスムの規範から完全に離れるというのは、考えられないことのようだった」(注6)。形成期の抽象表現主義者たちはキュビスムを手本とし、モダンアートの何たるかをそこから学んだが、しかし、それぞれに一人の自立した前衛芸術家として、やがてさらにその先に進んで行こうとする。その時から彼らにとってキュビスムは、むしろ抜け出さねばならない制限となっていった。グリーンバーグはまた別の時に、「キュビスムとは形シェイプスを意味した。そして、形とは明暗による構造である」(注7)と鋭く簡潔に述べたことがあった。これは、西洋絵画における「形」というものの表現、さらには、それを伴う絵画の基礎構造がキュビスムによってひとまずの限界まで突き詰められていたことを意味しているが、そうして上記のような抽象表現主義者たちは、キュビスム的な絵画構造の中で、それでも自分としてのオリジナリティある表現を目指したり、あるいはそれに留まらず、キュビスム的な絵画構造そのものを克服しようと試みた際、注力や成功の度合いに差はあるにせよ、一つの現象としてライティングへの接近を見せていくのだった。その様を以下にいくつかの文脈に分類しつつ考察していこう。シュルレアリスム受容の一側面として─ポロック、デ・クーニングシュルレアリスムは1940年代、形成期の抽象表現主義者たちにとって、キュビスムの格子を解きほぐすものとして機能した。無意識をめぐるシュルレアリスムの理論や手法の中でも特に重要だったのがオートマティスムであり、ポロックやデ・クーニングの絵画の文字性は、特にこの文脈で現れてくる。まずポロックの場合を見てみよう。《男性と女性》〔図4〕という1942年頃の絵画が― 449 ―― 449 ―

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