擁護した人物として知られている。そこで彼は「キュビスムが従来の絵画からはっきりと峻別される点は、キュビスムが模写の芸術ではなくして、想像にまで高まろうと目指す着想の芸術であるということだ」と述べ、「対象の性質を意想され創造された形態に変形すること」を求める(注11)。その際、「四次元」、「新しい全体」という語が用いられていることから、アポリネールは前述した古典に回帰した前衛芸術家たちと同様の考えを有していたといえる。またこの詩人は、1911年の『ラントランシジャン』誌にアングルに関する記事を書いている。そこでアングルは、自然と向き合いながらも、単なる対象の再現ではない表現を目指すものとして理解されている(注12)。それゆえ、グリスをアングルのデッサンを受け継いでると述べる等、アポリネールもまたキュビスムを語る際に現実の模倣ではなく、その変形という意味においてアングルを引き合いに出しているのにも納得がいく。また第一次世界大戦勃発時、自ら志願し戦地に赴き、頭に弾丸を受け負傷したアポリネールもナショナリスムへと傾倒していったことも併せて指摘しておく。そしてアポリネールは、シュルレアリスム的ドラマと形容した『ティレジアスの乳房』の台本の序文で、「(・・・)私は写真家のように模倣することなしに、自然そのものに戻らなければならないと考えた。人間は歩行を真似しようとして、脚と少しも似ていない車輪を創り出した。こうして人間は、それとは知らずにシュールレアリスムを実践したのだ」と述べ、この語を本格的に使用する(注13)。アポリネールはシュルレアリスムを対象の模倣を創り出す写真とは異なる方法で再び自然に立ち返る試みであると捉えているのである。5.二つのシュルレアリスム―イヴァン・ゴルとアンドレ・ブルトン多くの研究者が指摘しているように、この語の使用権を巡りゴルとブルトンが激しい争いを紙面で見せることになるが、その時ゴルのシュルレアリスムがネオ・クラシスムにからめとられ古臭く感じられたと指摘されている(注14)。しかし実際は、ゴルは『シュルレアリスム宣言』でピカソの古典への回帰を批判し、キュビスムの顛末を嘆いている(注15)。注意すべきは、ゴルはアポリネールと同様に自然を重視し、「現実の(芸術的に)より上位の次元への」置き換えを主張するが、彼が関心を持ったのは「初期」のキュビスムであるという点である。つまりゴルが目指したのは、古典に向かったキュビスムの焼き直しではなく、今一度自然に帰り、キュビスムを最初からやり直すこと、つまり新たなキュビスムの発展を意味していたといえるだろう。そのとき、ゴルがドローネーを迎え入れ、彼のデッサンを宣言の表紙に採用したことは注― 36 ―― 36 ―
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