インティングの上に単にライティングが重ね置かれただけではなく、両者が構造的に接合されていっている。ポロックは《速記の人物》において、ライティングをそのように用いることによって、キュビスム的絵画構造に揺さぶりを掛けていったのだった(注8)。シュルレアリスムに対するデ・クーニングの態度は、ポロックと比較すると非常に消極的であり、実際のデ・クーニングの作品を見渡してみても、シュルレアリスムの影響は顕著ではない。それでも、デ・クーニングも形成期におそらくシュルレアリスムをいくらかは自分の仕事に取り込んでおり、1940年代前半、そこにライティングの問題が深く関係していた。デ・クーニングの妻イレインが伝えているところによれば、1940年代はじめ、彼は一枚の絵を始める時よく、まずキャンバスの表面いっぱいにいくつか言葉を書いていたという。それらはとても大きな字で、一枚のキャンバスにつき一単語か二単語だった。そこではデ・クーニングは木炭か筆を用い、肩や腕を最大限に使って、それらの語を素早く書き殴っていった(注9)。このイレインの話からは、デ・クーニングによるそれらのライティングの行為がオートマティックなものであったかどうかは不明である。無意識から湧き上がってきた言葉をそのまま同時的に書き取ったこともあれば、ある程度は意識的に考えた上で書いたこともあったかもしれない。いずれにせよ、ここで注目したいのは、そのライティングの次の段階のデ・クーニングの行為である。イレインのさらなる証言によれば、デ・クーニングは、たとえば1942年頃の無題の特定の油彩画〔図6〕では、まず画面上部いっぱいに「hope」(Hope?)、下部いっぱいに「man」(Man?)という語を書いた(注10)。確かに画面上半分の矩形や円形には「Hope」というような文字の残響を、画面下半分の起伏のある不定形な白の形態には「Man」というような文字の残響を感じることができる。イレインは、上側では「h」(H?)が窓、「o」がループ、「p」が林檎およびテーブルの脚の一つ、「e」が上から見たフロアランプ、下側では「M」が手のようなものになっていると説明しているが(注11)、デ・クーニングはそのようにして、それらの文字の形を画面構成の基礎とし、そこから自由連想的にイメージを膨らませてその絵を作り上げていったのであろう。同時期の同じスタイルの他のいくつかの抽象絵画も、同様のやり方で制作されたと思われる。このようにデ・クーニングは、キュビスムとは違う成形原理としてシュルレアリス― 451 ―― 451 ―
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