鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
47/507

目に値する〔図4〕。というのも、アポリネールは『キュビスムの画家たち』でキュビスムを「科学的」「物理的」「オルフィック」「本能的」に分類するのだが、その中でも「視覚的な現実からとりいれたのではなしに、何から何まで芸術家によって創造され、且つ芸術家によって強力な現実性を付与された諸要素をもって新しい全体を描く芸術である」と形容するオルフィック・キュビスムを重要視し、ドローネーを熱狂的に称賛したからである。しかし、ドローネーは1912年頃という早い段階でキュビスムを離れた。この事実から、ゴルはもう一度初期のキュビスムにまで遡り、オルフェ的キュビスムを選択することで美術史をやり直そうとしたといえよう。それに対し、ブルトンは『シュルレアリスム宣言』でアポリネールのシュルレアリスムとの違いを明言し、さらにオートマティスムという新しい概念を提案することでこの語の意味を刷新した。その他でも同様の試みが見られる。オザンファンらが発行した『エスプリ・ヌーヴォー』誌(1920-1925)のタイトルもまたアポリネールが用いた用語から選ばれたのだが、それに対抗するかのように1922年3月にブルトンも同タイトルの作品を『リテラチュール』誌に発表した(注16)。ブルトン全集の解説でも指摘されているように、それはシュルレアリスムの重要な教義の一つである偶然の出会いをモティーフにしており、ブルトンの代表作となる『ナジャ』(1928)を想起させる。このように、ブルトンはアポリネールを重要な指標として認識してはいるが、決して追随者に終わることなく、独自の芸術概念を打ち出すことで時代の先導者ならんとしたのである。6. ヴァージョン違いから考察するシュルレアリスム宣言としての《アングルのヴァイオリン》以上、異なる芸術観のもと二つのシュルレアリスムの存在を確認してきた。それでは、『リテラチュール』誌に掲載されたマン・レイの《アングルのヴァイオリン》はブルトンのシュルレアリスムといかなる接点があったのか。ここでは、作品分析を通してそれを考察する。この作品はf字孔の他にも背中の左側の輪郭が加筆・修正されている。マン・レイの写真作品は白と黒のコントラストを特徴としているのに対し、この作品は柔らかい印象を与えている。しかし加筆により、まるで絵画であるかのようなタッチを残しつつも輪郭が強調されることで、綿密な線を追求したアングルの作品と近づけられているといえよう。そもそも、自伝で何度か名前を挙げているように、マン・レイは決してアングルが嫌いではなかった。実際、この作品の他にも、アングルと関係するよう― 37 ―― 37 ―

元のページ  ../index.html#47

このブックを見る