鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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(2)印章と制作年代の検討本作には「鸞山」(朱文円印)、「蕭白」(朱文方印)、「曽我暉雄」(白文方印)、「如鬼」(朱文外方内円印)、「鸞山」(朱文方印)の5つの印が捺される。蕭白の印章についてはすでに仔細に検討がなされており、特に使用例の多い「蕭白」と「曽我暉雄」印が捺されていれば、その欠損の程度から、かなり具体的に制作年代を絞り込むことができる(注1)。欠けの少ない「蕭白」印と「曽我暉雄」印をみれば、年記のある作品では31歳で描いた「林和靖図屏風」(三重県立美術館蔵)より後で、35歳時の「群仙図屏風」(文化庁蔵)より前の状態である。円印の「鸞山」は使用例がそれほど多くなく、ほぼ完印で周縁部にわずかに欠損がある状態は、34歳の年記がある「雲龍図」(米国・ボストン美術館蔵)、加えて同じ高砂の寺院の襖であったと考えられている「鷹図」(ボストン美術館蔵)と近い(注2)。鷹図に捺される「蕭白」印も本作とかなり近しい状態にあることから「渓流図襖」も同時期の作と考えてよいだろう。試みに円印「鸞山」が捺された諸作品もあわせて検討してみる。まず、第一次伊勢滞在の宝暦8~10年(1758-60)の作との指摘がある「唐獅子図屏風」(加島美術蔵)が最も欠損のない使用例だろう。「琴棋書画図屏風」(ボストン美術館蔵)でも周縁にほとんど欠けがないが、わずかに「山」の字の下部が欠ける。「蕭白」印の欠損も進む(注3)。その次の使用例と目される「寿老人鹿鶴図」(個人蔵)や「寒山拾得図」(京都・興聖寺蔵)では上部と「山」字の上下が欠損、「蕭白」印にも欠損が生じている(注4)。「寒山拾得図」の「鸞山」印はほとんど「渓流図襖」のものと同じ状態だが、「蕭白」「曽我暉雄」印が「渓流図襖」よりも欠損が進んでいる。34歳の年記のあるボストン美術館の「雲龍図」や「鷹図」についても「鸞山」印および「蕭白」印の欠損ともに本作に近い。同様に、もと小襖二面であった「牧馬図」(個人蔵)、「鉄拐図」(ファインバーグコレクション)、「野馬図屏風」(プライスコレクション)についても同時期の作であるといえる(注5)。その後、この「鸞山」印は部分をえぐりとった形で「波濤鷹鶴図屏風」(個人蔵)、「月夜山水図襖」、「蝦蟇鉄拐図屏風」(東京国立博物館蔵)に使用されるが、いずれも35歳の年記のある「群仙図屏風」より前に描かれたものであることが「蕭白」「曽我暉雄」印の状態からわかる。よって、「鸞山」印の使用は画業の最初期である宝暦8~10年頃から、宝暦13年までの6年ほどに絞られる。この時期は、これまでの研究で、年記のある作品を核としたグルーピングが行われてきた、いわゆる「第一次伊勢滞在」「第一次播州滞在」の― 464 ―― 464 ―

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