鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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(3)「渓流図襖」にみる岩の描法期間にあたる。ことに33歳の高砂・加茂神社の「神馬図絵馬」と34歳の「雲龍図」、両作品の年記から判明する一度目の播州滞在は、「雪山童子図」(三重・継松寺蔵)や「群仙図屏風」など着色の代表作が相次いだ宝暦14年を目前にした、画力の充実した時期であった(注6)。このたび紹介する「渓流図襖」も、これまで述べてきたような諸作品との印章の比較から、また経緯は不明ながら現在も兵庫県内に伝来していることからも、第一次播州遊歴時に描かれたものと考える。本作の岩には輪郭線がほとんど見られない。刷毛のような筆を用いておおまかにかたどったところに濃淡と点苔をつけていくことで、でこぼことした溶岩のような岩肌をあらわしている〔図5〕。点苔の多用は、師と目される高田敬輔の影響を感じさせるもので、似通った描法は、第一次伊勢遊歴の作と思しい「鷹図押絵貼屏風」(個人蔵)、「双鶴図」(三重県立美術館蔵)や高砂・岸本家の伝来品として紹介される「梅図」(個人蔵)、「鉄拐図」、兵庫県加古川市の真浄寺襖絵、永島家襖絵のうち「瀟湘八景図」(三重県立美術館蔵)などに見出すことができる(注7)。いずれも蕭白30~35歳までの作と位置づけられるものであり、その後の作品にはこうした岩皴は見いだせないことから、この時期特有の描法と見ることができるだろう。その後、「双鶴図」と表裏を成していた「太公望図」(三重県立美術館蔵)の岩石のように、点苔を多用しつつ短いストロークの繰り返しで皴をつける描法がこれにとって替わり、やがて京都・久昌院の「楼閣山水図」右幅中ごろにみられる岩のように整理された端正な岩皴へと変化していったようだ。真浄寺襖絵については、無款ながら作風と伝来から蕭白筆と推定されてきた。同寺の小襖「曳舟図」には蕭白の印章があり、その状態が38歳ごろの第二次播州遊歴期にあたることから、襖絵群もその時期の作と推定されている(注8)。しかし山水図における岩石や遠山の描法は、先に述べた「渓流図襖」をはじめとした第一次播州遊歴期の作品と似通う特徴をもつもので、これを本人の筆とするならば少なくとも「曳舟図」とは異なる時期に描かれたことになるだろう。また、同寺襖のうち特に「唐人物図」の画風は蕭白本人の筆とは断定し難く、播州には蕭月や蕭湖といった弟子の存在が指摘されていることからも、作者については慎重な検討が必要であると考える。さて、このたび印章や描法から「渓流図襖」と近しい時期に描かれたと確認した作品群、すなわち「雲龍図」、「鷹図」、「牧馬図」、「鉄拐図」、「野馬図屏風」、「梅図」などから、第一次播州滞在時の作風が新たに抽出できるだろうか。「雲龍図」や「鷹図」、― 465 ―― 465 ―

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