鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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「野馬図」といったすでに知られる大画面の作品では、30代前半で培った墨技を駆使した、ダイナミックな表現が際立つ。しかし「鉄拐図」や「渓流図襖」では、岩皴に水気の多い墨を用いることで墨画ならではの濃淡を駆使し、模糊とした雰囲気を演出しながらも、樹木の枝葉や人物の面貌には細緻な描きこみも見て取れる。こうしたメリハリの利いた描法の併用は、遡っては「鷹図押絵貼屏風」や「寒山拾得図屏風」(個人蔵)に既に見られるが、こののち35歳以降になると影を潜め、モチーフの描法は密画ならば細緻に、粗放ならば太い筆で豪放に統一されていく。その意味で第一次播州滞在時の制作は、様式の過渡期における模索により、清新で魅力的な作品群を生み出された時期と位置付けることができるだろう。(4)「渓流図襖」と諸作品にみるかたちの変奏「渓流図襖」に見られる岩と渓流の配置には、後に続く諸作品に見られる構図やモチーフの、原初的なかたちを見出すことが出来る。まず、先述したように印の状態が近く、同時期に描かれたと思しい「牧馬図」は、触手を伸ばしたような樹の形や、曲がりくねりながら手前に流れ落ちる渓流など、共通点が多い作品である。土坡を形作る斜めの線描、強風になびく枝などの道具立ては、主なモチーフである疾走する馬達に呼応させている。画面のなかで様々な岩や山の描法が面白く取り合わされており、その意味では「渓流図襖」と好対照といえるだろう。よく似た水流と岩の配置は、35歳の作「群仙図屏風」左隻にも、反転したかたちであらわれる。人物の強烈な形態と色彩に目を奪われ、背景は印象に残らないが、西王母や蝦蟇の背後にある岩のアウトラインは似通うし、どこに向かうともしれない小さな水流も、手控えにあったことからつい描き添えてしまったと考えると、一層かわいらしく思える。さらに、40歳頃の作とされる、「群仙図屏風」(東京藝術大学大学美術館蔵)右隻にも「渓流図襖」中のモチーフの名残がみられる。二曲屏風の一隻という画面サイズに合わせ、岩石の構造は簡略化されるが、背後の岩を伝い落ちる渓流のかたちは、同じ形の曲線を描いている。渓流図襖では画面中央で手指のように分かれて流れ落ちる小さな滝は、藝大本「群仙図」ではシンプルな曲線に変えられており、屏風を立てて鑑賞する時、水の描くカーブが勢いよく手前にせりだしてくるような効果をもたらしている。こうして似通った構図の3つの作品を挙げ比較してみると、人物画の背景として描― 466 ―― 466 ―

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