注⑴ 佐藤康宏「蕭白新論」『新編名宝日本の美術 第27巻 若冲・蕭白』小学館、1991年、「蕭白ショック‼曽我蕭白と京の画家たち」展カタログ、千葉市美術館・三重県立美術館、2012年。⑵ 辻惟雄・河野元昭・マニー・ヒックマン『日本美術絵画全集23 若冲・蕭白』集英社、1977年、木村重圭「曾我蕭白の播州遊歴とその作品」『兵庫の歴史』26、1990年、以降述べるボストン美術館の諸作品の落款・印章については書籍のほか同館ウェブサイトも参照した。⑷ 「寿老人鹿鶴図」(個人蔵)については「曾我蕭白展」カタログ、練馬区美術館・三重県立美術館、1987年と「曾我蕭白展 江戸の鬼才」展カタログ、三重県立美術館・千葉市美術館、1998年所載。⑶ 「琴棋書画図」(ボストン美術館 11.4511-2)については「ボストン美術館秘蔵フェロノサコレクション 屏風絵名品展」カタログ、NHKプロモーション、1991年を参照。「唐獅子図屏風」については前掲「蕭白ショック」展カタログ。⑸ すべて「曾我蕭白 無頼という愉悦」展カタログ、京都国立博物館、2005年所載。「牧馬図」については、狩野博幸氏が同カタログ「無頼という愉悦―曾我蕭白への視座」において、明治24年の『絵画叢誌』48号に紹介される、魚崎村の村長宅にて姫路藩主・酒井忠恭が賞賛した「水墨の馬の画」である可能性を示している。⑹ 松尾勝彦「播州の蕭白画について」『美学論究』5、関西学院大学美学研究室、1971年、同「播州路の蕭白画」『古美術』39、三彩社、1972年、同「播州路の蕭白画Ⅱ」『古美術』40、三彩社、1973年。かれる山水が、画面全体の面白さやリズムのために周到に練られ、形態や配置に工夫が凝らされている分、いっそう「渓流図襖」のシンプルさが際立つ。水気の多い墨の効果を楽しむように、一つ一つの岩の凹凸を濃淡でつけており、岩肌と溶け合うような霞の描出も丹念なぼかしによる。柔らかく速度のある筆による水の流れには、文化庁本、藝大本「群仙図」に代表される著しい誇張や過剰な描きこみは見られない。狩野博幸氏(注9)は、蕭白の描いた山水画のイメージの源泉として、遊歴中に伊勢や播州で目にした鋭い山稜や奇怪な山膚を挙げるが、本作においても、旅の中で出会った実景がもたらす、素直な感懐やモチーフへの真摯な眼差しが創作の源にあったと考えたい。蕭白の山水図はこの後、35歳頃をターニングポイントとして、「月夜山水図屏風」に代表される線描主体の硬質な真体の山水へと変容していく。そして遊歴を終え京都に定住したと推定される40歳以降、山水画中に故事人物をごく小さく描きこむ「林和靖図」(千葉市美術館蔵)のような趣向の作品が最晩年まで量産されたものの、新たに飛躍を遂げることはなかった。実景を彷彿とさせる力作である、この襖絵の出現によって、30代の長い遊歴が蕭白の画に及ぼしていた影響の重要性を改めて確認することができるだろう。― 467 ―― 467 ―
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