鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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おいて、フランス共和主義という政治思想を共有している人間関係が見えることを指摘した。このように、本発表では、ルグロとロダンとの交流を軸にロダン作品のイギリスでのプロモーションの実態を明らかにし、その上で政治思想を背景としたネットワークを強調した。他の研究者からの反応本発表に対し会場からの質問及びコメントが付与された。一つには、ルグロとロダンの橋渡し役として、ルグロの生徒の存在があったかという質問があった。とくにナトープは、ルグロ制作の彫刻の型をロダンのアトリエまで運搬するという役目を担い、ルグロとロダン間の書簡にも名前が多く出てくることを返答した。また、ブールデル美術館の館長、シミエ氏からは、これからの研究の方向性としても、1870年代にフランスからイギリスへ亡命した芸術家たちのネットワークが重要であるというコメントがあった。そして今年には、イギリスとフランス両国で同内容の趣旨の展覧会が開催されるという指摘があった。それら展覧会は以下のとおりである。Impressionists in London: French Artists in Exile(1870-1904) at Tate Britain(2 November 2017-29 April 2018) and Petit Palais(20 June - 14 October 2018)つまり、本研究ではロダンのイギリスでの受容の観点からルグロの役割を考察したが、同様のアプローチで研究が進められ、展覧会が企画されていることは、ルグロに関する自説を補強するものであり、さらなる研究の展開につながると思われる。さらには、会場の質問から、ロダンの彫像がロイヤル・アカデミーで受け入れられなかったのは、1880年代のみであり、1900年以降のイギリスでの受容の状況とは異なるという指摘があった。本発表においては、ルグロが関与した1880年代に議論を絞っていることを指摘した。以上が会場からの質問に関しての報告であるが、午後になり会場も少し緊張が和らいだためか、発表後も聴衆の方やロダン美術館の関係者の方から多くのコメントをいただいた。本発表がルグロという無名だった画家を紹介したこと、またルグロをめぐる有機的なネットワークを明らかにし、総合的な研究の考察が成立していることに対してポジティヴな評価をいただいたのは、今後の研究の励みとなるものであった。― 480 ―― 480 ―

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