から水が滝のように被洗者の頭上に流れ落ちている点である。すなわち、来世における洗礼の水は、この世の水ではなく、「蒼穹」の彼方にある水である。粗末なこの素描は色彩を伴っていないが、にもかかわらず、念入りに多数の星が描かれていることから、それが夜空として表象されていたことは確かである。大バシレイオスから、さらに東西のキリスト教の思想的指導者たちに受け継がれていったこのような宇宙論は、次第にその位階論的性格を強め、やがて5世紀末から6世紀にかけてはアレオパギテス偽書で完成されるようなキリスト教的宇宙像に至る。しかし、短期間であったとはいえ、4世紀末から6世紀初頭にかけての宇宙論の形成には、それまでの古典的宇宙観を超える大きな飛躍が必要であった。すでに紙数も尽きたので、その細部に立ち入ることは出来ないが、バシレイオスとアウグスティヌスの『告白』XII~XIII章における創造論を比較するならば、後者において、「天の天」に至る道程が、より明確に禁欲と霊的瞑想による霊の上昇という実践的な行為movementとして語られていることに注目しなければならない。重要なのは、このような霊的実践を強調するに伴っていっそう「天」の位階的構成が露わになってきたことである。このことは単に西方キリスト教圏のみに限られたことではなかった。バシレイオスの弟であり、兄の『へクサメロン』をしっかりと受けとめたニュッサのグレゴリオスの数々の霊的な著作においては、天上の位階が、天に向かって霊の上昇とともにさらに劇的に描かれることとなる。またそこでは「天の天」が神の恩寵に溢れた「闇」として描かれていることも忘れてはならない。この複合的モティーフの研究が、4世紀後半から6世紀初頭にかけての宇宙論の変遷を視覚的にたどることを可能にするとともに、良く知られたガッラ・プラチーディア廟のような作品の美術史・思想史的解釈に新たな次元を開くことを期待する。― 490 ―― 490 ―
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