鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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ミ ・Mトゥアット t⑤二〇世紀初頭のベトナム「美術」研究─開智進徳会の活動とクインの言説を中心に─研 究 者:鹿児島大学 共通教育センター 専任講師  二 村 淳 子0.はじめに先行研究では、ベトナムに西洋近代的な「美術」という概念を伝えたのは、1925年設立のインドシナ美術学校 (École supérieure des Beaux-arts de lʼIndochine/東洋高等美術学堂)であるとされてきた(注2)。だが、実際には、1910年代後半から開智進徳会(Hôi Khai-Trí Tin-Đc)というハノイの知識青年層サークルが、「美術」という語を用いつつ、その普及に力を入れ、フランス式のSalonという制度を受容し、「美術運動(Phong Trào Mĩ-thut)」なる啓蒙を推し進めていた(注3)。以下、開智進徳会の活動と、その舵取り役であったファム・クイン(Phm Qunh, 1892-1945)〔図1〕の言説を中心に、彼らが「美術」という新語を、どのように解釈しようとしていたのかを読み解く。1.開智進徳会と「美術」の範疇「開智進徳会」は、1919年から1945年まで、ベトナム北部の近代化に大きな影響を与えてきた結社である(注4)〔図2、3〕。仏名は、AFIMA(Association pour la formation intellectuelle et morale des Annamites)であり、会の目的は「フランスと安南の二つの民族のより良き相互理解と協力」(注5)である。会は、1919年5月2日、事務局長となるファム・クインの提案によって結成された(注6)。会のメンバーには、グエン・ヴァン・ヴィン(Nguyn Văn Vĩnh, 1882-1936)やチャン・チョン・キム(Trn Trng Kim, 1883-1953)を筆頭に、いわゆる新学知識人たちの名が連ねられる。当会における言語・文学の領域における功績はよく知られているが、この会には、「美術班(Bn Mĩ-thut)」も存在し(注7)、ベトナム人による初の美術サロン「開智進徳会 闘巧美藝」(Cuc đu-xo ca Hi Khai-Trí Tin-Đc)を1923年に催した。また、後の1943年には、会の中に安南美術会(Foyer de lʼArt Annamite, Hi Ngh-thut An Nam)という美術部門が発足されている。hut(初期にはMĩ-thutと綴られた)というベトナム語は、仏語のBeaux-artsの訳である。これは、「美術」という漢字をクォック・グー表記にしたものである。ただし、ベトナム美術研究者たちは、この言葉が日本由来の翻訳造語だと知らず、かつてから存在する漢越語だと見なしている(注1)。― 45 ―― 45 ―アフィマ

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