1925年に創立したインドシナ美術学校が、創立当初、家具や調度といった装飾芸術品を作ることが主眼だったのにもかかわらず、「美術」学校と命名されたのは、以上に述べたような現在とは異なる「美術」認識が一因である可能性も否定できない。2.「美とは何か?」「美術」という言葉や概念が未だ定着していなかったベトナムにおいては、まず最初に「美とは何か」を問う必要があった。クインは、自らが主筆を務めた『南風雑誌』で、その創刊年(1917年)に、エッセイ「美とは何か?(Đp là gì?)」を三回に亘って掲載した(注17)。ベトナム人の立場から、「美」について思考し、「美術」という言葉を用いて叙述した最も早い論考だ。本エッセイは、形而上学的な美ではなく、主観の認識論を打ち立てたカントの美学を下敷きとし、フリードリッヒ・フォン・シラー、ニコラ・ボワロー、アンリ・マリオンなどの思想や言葉が織り交ぜられている(注18)。美と善、あるいは有用性を混同すべきでないという忠告や、美が感情と密接に関係しているという意見、美の核となるものは「品(duyên, grâce)」であるといった見解などが披瀝されている。クインは、美による人格形成や教育効果についても触れているが、あくまでも、彼の主眼は、ベトナムの国民国家としての美術作品の創出にあった。彼は、「『美的感情』とは個々の感情でありながら、共通の起源を持つもの」と述べ、あらゆるベトナム人に愛されているキエウ伝(注19)を例に挙げる。そして、美における国民的な趣味というものが存在することを主張している。同じ形式、同じ画(tranh vẽ)、同じ文章、同じ曲であっても、ある人は美しいと言い、またある人は美しくないと言う[…]。チュノム文学の最高峰であるキエウ伝は、粗野で貧しい農夫であろうと、無教養な者や労働者階級の者であろうと、佳人才子であろうと、博学の名士であろうと、皆一様に認め、人それぞれに視点は違っても誰もが皆、上手いと評する。[…]美的感情(mĩ-tình)とは個々の感情でありながら、共通の起源を持つ[…]。美は、ある高いレベルに達すると、それ自身が限りない力を持ち、人は非常にそれを深く感じるようになり、すべての対立・相反するものと調和するからである(注20)。同様、クインは、他のエッセイでも「各国の美術は、そこに住む民族のメンタリティを表現している」(注21)と、「国民美術」としての美術を語っている。こうしたクイ― 47 ―― 47 ―
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