鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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20世紀初頭ベトナム 美術に関する年表(1925年まで、ハノイを中心に)西暦1898年1902年11月ハノイ博覧会開催。フランス美術展覧会場にて「裸体画騒動」勃発。1906年4月マルセイユ植民地博覧会。1909年1910年1914年11月第4回「仏安藝術友好会」が好評を博す。1915年1月グルドンの講演「安南美術について」(越語にクインが翻訳、1919年掲載)1915年11月第5回「仏安藝術友好会」が好評を博す。1916年11月アルベール・サロー、二度目のインドシナ総督就任。1917年12月クイン「美とは何か?(1)」。美学という科学を読者に解説。1918年1月クイン「美とは何か?(2)」。美と善、あるいは有用性との相違。1918年2月クイン「美とは何か?(3)」。美の構成要素について。1918年1919年2月開智進徳会発足(AFIMA)。1919年6月クイン、グルドンの「安南美術について」の翻訳を『南風雑誌』に掲載。1920年1920年9月1921年12月開智進徳会討論会。「詩人と芸術家が美を育むのを奨励するために何をすべきか?」1922年1月作家ニョによる「美育」の提案(『南風雑誌』1922年6月号)。1922年1922年1922年4月マルセイユ植民地博覧会開催(グルドン、クイン渡航)。1922年10月クイン、東西美術比較の視察。裸体画の意味を読者に解説(『南風雑誌』1922年10月号)。1923年11月開智進徳会サロン(salon 1923)の開催。1923年11月水彩画指南が『南風雑誌』で連載開始(3回)。水彩画ブーム最盛期。1923年1924年1924年10月メルラン総督の条令によりインドシナ美術学校創設が決定。1924~25年ナム・ソン、一年間、パリへ美術留学。1925年11月インドシナ美術学校、ハノイに開校。ナム・ソンによる東洋美術学堂構想。タルデュー、総督へインドシナ美術学校設立のための報告書を提出。技能を教える職業学校(École professionnelle)がハノイに創設。漆作家の石河壽衛彦、鋳金作家の石川浩洋が1902年から講師として招かれる。ハノイでアンリ・グルドンが「仏安藝術友好会」を発足。「仏安藝術友好会」が工芸サロンを年に一度開始。工芸を展示するインドシナ経済局ギャラリー(AGINDO)がパリに創設。開智進徳会による本部設立のためのコンペ開催。ピエール・ミルが極東人と裸体画について言及。「極東の人種は、高貴なアイディアを表象することができない」(Pierre Mille, Excelsior, 8 septembre, 1920)画家ヴィクトール・タルデューの来仏印。マルセル・ベルナノーズ、パリで『トンキンの装飾芸術』を出版。― 52 ―― 52 ―関連事項

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