典型的な例である(注17)。フレーム全体を満たすように配置された顔のクローズアップ、顔面に当てられた強い光、肌の質感描写、感情を露わにしない表情といった要素が、この作例では『日常の顔』から流用されている。しかし微細ながらも見逃せない様式的差異もある。レルスキーのカメラが被写体の真横、もしくはわずか下方に置かれることが多いのに対して(例えば《ザクセンの物乞い》〔図3〕を参照)、《試み》ではカメラは上からモデルを見下ろしている。その結果、後者ではモデルの目が強調され、無表情であるにもかかわらず、彼女の意思を感じさせる。野島康三が1933年7月に発表した《女の顔・20点》〔図4〕にも、田村の《試み》と同様の、レルスキー作品との類似点と相違点が見出される(注18)。モデルの眼差しの強調は、レルスキーの肖像では受動的な「素材」として扱われていたモデルに、再びその主体性を回復させるきっかけとなっている。3.ザロモンとレルスキー1930年代前半の日本写真史におけるレルスキーの受容に、その様式の表面的な模倣という側面があったことは否めない。だが肖像写真の概念の変化ということに関して言えば、レルスキーの受容は一時の流行にとどまらない、より本質的で永続的な影響を日本の写真史に与えた。ここで注意すべきは、レルスキーの肖像写真は、当時の日本で流行し始めていた、小型カメラによるキャンディッド・フォト(被写体に気づかれずに、または、カメラを意識させずに撮影された写真)、いわゆる「スナップ」の対照的存在として、しばしば扱われたということである。たとえば、キャンディッド・フォトのパイオニアのひとりであるドイツのエーリッヒ・ザロモンを紹介した1932年0000と撮影してしまふことに依つて、写真1月の記事〔図5〕で、堀野正雄は「こつそり的真実性を巧みに表現してゐる」ザロモンに対して、レルスキーは「サロモン博士の写真と相反する撮影方法に依つてゐる」と述べている(注19)。レルスキーはザロモンとはまったく異なる方法で「写真的真実性」を実現したと考える堀野は、次のように主張する。「彼の方法は飽くまで彼自身の意図の具体化であつて─寧ろ彼の趣味の具体化であつて、決してシュタルケ氏の批評する様に、「自然的無加工なる処に個有の美は存在する」と云ふ理論をレルスキー氏の制作態度から要略することは寧ろ不可能であらう」(注20)。つまり堀野はレルスキーとザロモンをともに評価しつつも、両者の作品は対照的な「制作態度」の産物だとみなすのである。だが、被写体の側のカメラに対する意識という視点から見たとき、両者には堀野が見逃していた共通点もある。グラゼールは写真集の序文で、レルスキーの肖像写真に― 57 ―― 57 ―
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