鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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る。「概略を記せり」という版元の言葉があるが、『水滸画潜覧』は、120回本でいうところの第23回までで完結している(注7)。「粗そろう漏」とは、水滸伝の内容が網羅されていないことに加え、「婦ふぢよ女童どう蒙もうの目めを歓よろこばするに足たらず」とあることから、挿絵の質も指すと考えられる。本書と『水滸画潜覧』の共通点に関しては既に指摘があり、筆者も考察をしている(注8)。本稿では、『水滸画潜覧』「洪大尉誤走妖魔」図〔図2〕と『新編水滸画伝』巻之一「伏ふくまのでんやふれ魔殿壊て百八の悪あく星せい世よに出いづ」図〔図1〕の共通点を確認したい。『新編水滸画伝』では、放射状に表されたセピア色の光線の中に白抜きで妖魔を表しているが、『水滸画潜覧』「洪大尉誤走妖魔」図でも、薄墨で表された黒気の中に妖魔を白抜きで表している。前者では、セピア色は全挿図中で本図のみに使用され、後者でも、薄墨は他図には用いられていない。両者には他の挿図と異なる色を用い、白抜きで妖魔を表しているという共通点がある。また、本文と挿絵の関係性も共通している。共に妖魔の出現に関する詳細な記述はなく、『水滸画潜覧』では「洪大尉誤走妖魔」という章題、『新編水滸画伝』では「洪こう大たいいあやまち尉誤して妖あやしきもの魔をはしらす」という章題及び絵に記された「伏ふくまのでんやふれ魔殿壊て百八の悪あく星せい世よに出いづ」のみが、妖魔に関する記述である。本作において、妖魔出現は大変劇的かつ重要な場面だが、文章による説明はあえて行わず、挿図で表現している。読本の本作品では、絵本の『水滸画潜覧』より遥かに詳細な文章表現がなされているが、妖魔が解き放たれた際の具体的な記述がないという点は、『水滸画潜覧』の手法を踏襲したようである(注9)。本作の読者層は、あらかじめ水滸伝のあらすじを知っている者が多いと考えられ、文章での説明をせず手の込んだ挿絵を入れることで、かえって印象を強く残すことを狙ったのだろうか。また、両者は伏魔殿と黒気の配置も共通しており、『新編水滸画伝』の制作において『水滸画潜覧』の挿絵が強く意識されたことがうかがえる。両者には、相違点も多数ある。いくつかをとりあげ、『水滸画潜覧』の表現を、北斎がどのように発展させていったのかを考察したい。第一に、『水滸画潜覧』では薄墨のみで楕円形の黒煙の中に妖魔を表すのに対し、『新編水滸画伝』ではセピア色で表現された部分の上に、放射状の黒い線がひかれ、その線の隙間からセピア色の部分に白抜きで表された妖魔が顔をのぞかせている点があげられる。色彩の変更理由には、『新編水滸画伝』では薄墨を他の挿図にも使用したため、本図には薄墨とは異なる特別な表現を施したことに加え、『水滸画潜覧』とは本文の記述が異なるため、描写を変更した可能性も挙げられる。前者では先述のとおり、伏魔― 65 ―― 65 ―

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