次に、『水滸画潜覧』に続く本邦の水滸伝絵本『梁山一歩談』とその続編『天剛垂楊柳』を取り上げ『新編水滸画伝』に影響を与えた図像を検証する。『梁山一歩談』および『天剛垂楊柳』は、山東京伝訳、北尾重政画の『水滸伝』翻案黄表紙で、寛政4年(1792)に、蔦屋重三郎より刊行された。『梁山一歩談』は『水滸伝』120回本でいうところの第6回、『天剛垂楊柳』は同じく第7回から12回までを扱っている。『水滸画潜覧』は120回本でいうところの第23回までで完結しており、本書で扱った部分は『水滸画潜覧』より短いが、『水滸画潜覧』が概略を記したのに対し、『梁山一歩談』および『天剛垂楊柳』では、より多くの場面が描かれている。馬琴は京伝に入門を乞うたこともあり多くの影響を受けているが(注11)、『新編水滸画伝』の制作にあたっても『梁山一歩談』・『天剛垂楊柳』を参考にした可能性は高いと考えられる。描写を比較したところ、多くの共通点があった。 例えば、『新編水滸画伝』巻之一「龍りう虎こざん山に張ちやうてんし天師三みたび洪こうたいい太尉を試ためす其二」と『梁山一歩談』三ウ四オには『水滸画潜覧』では挿図に描かれていなかった牛に乗る童子が描かれており、両者共に左前脚を軽く上げるフォルムの牛が、画面左に向かって歩みを進める構図をとっている。このことから、北斎は『新編水滸画伝』を制作する際には、『水滸画潜覧』ばかりではなく、『梁山一歩談』・『天剛垂楊柳』も学習したと考えることができる。ここでは、両者の共通点として、『新編水滸画伝』巻之八「魯ろ智ち深しん菜さいえん園に緑あを楊やぎ樹を抜ぬく」〔図3〕を取り上げる。本図と共通の場面は『水滸画潜覧』〔図4〕、『天剛垂楊柳』〔図5〕にも登場する。『新編水滸画伝』では、烏を描いた点は『水滸画潜覧』と共通し、柳の葉を点で表す描法や周囲の人が頭に手をやるポーズは『天剛垂楊柳』と共通する。しかし、北斎は遥かに迫力のある画面を作り上げている。『天剛垂楊柳』では頭に手をやる人物は、立位で描かれているのに対し、『新編水滸画伝』ではしゃがみこんだ姿で描かれ、恐怖が強調されている。また、『新編水滸画伝』では、魯智深が引き抜く木の幹は、他の二作品よりも太く描かれている。ここからは、絵師が先行作よりも、迫力のある画面になるよう工夫を重ねながら創作した様子をうかがうことができる。その他の相違点からも、北斎は妖魔や戦闘場面など、物語のアクセントとなる場面を強調するという意識を強くもっていたと考えられる。以上、本邦の『水滸伝』の挿図の先行作を参照したが、次に、中国で制作された『水滸伝』の挿図に着目する(注12)。現存する、挿絵を伴う『水滸伝』の代表作に『京本増補校正全像忠義水滸志伝評林』があるが、挿絵は横長の小さな画面に描かれており、『新編水滸画伝』とは図様に共通点を見出すことができなかった(注13)。― 67 ―― 67 ―
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