鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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続いて、容与堂本と比較をする(注14)。容与堂本とは、万暦38年(1610)に中国の杭州で版元容与堂が出版した『李卓吾先生批評忠義水滸伝』をさす。『新編水滸画伝』冒頭の校定原本の一つに「『李卓吾評閲一百回』和俗これを百回本といふ」とあり、馬琴が本書を参照していたことは指摘されている。(注15)。初巻から十巻までと容与堂本を比較すると、両者には多くの共通点がある(注16)が、このうち『新編水滸画伝』巻之四「怒いかりに就まかせて魯ろていかつ提轄 鄭ていと屠を打うちころ殺す」図に着目する。同場面は、『水滸画潜覧』や『梁山一歩談』でも描かれているが、共に本文と挿絵に蓮の葉は描かれていない。『新編水滸画伝』には、蓮の葉に包まれた、二包の挽肉を魯提轄が鄭屠の面に打ち付けたことが記されており、挿絵にも床に落ちた二枚の蓮の葉と散乱する挽肉が描かれている。配置は異なるが、二枚の蓮の葉を葉の表裏から描き分ける点や床に挽肉が散らばる様は本書と容与堂本で共通する。北斎は、本文に即した挿絵を描くため、容与堂本を学習しながら制作を進めたと考えられる。なお、建物や人物の配置や床に落ちた包丁の描写が共通するため、『水滸画潜覧』も容与堂本を参照したと考えられる。また、『梁山一歩談』も『水滸画潜覧』にはなく、容与堂本に描写のある、店先にぶらさがる獣肉を描いていることから、容与堂本を参照したと推測される。本邦における水滸伝絵本の制作は、容与堂本を手本とし、その他の先行作を学習しながらそれぞれの文脈にあわせて活用していったと考えられる。続いて、『新編水滸画伝』の繍像に着目する。『新編水滸画伝』の史進、林沖、朱武の繍像には、陳洪綬の『水滸葉子』(1625~30頃)もしくは、本書を典拠とした岡島冠山の『通俗忠義水滸伝』(宝暦7~寛政2年〈1757~90〉刊行)の繍像の影響があることは、既に指摘がある(注17)。その他の繍像において、類似した事例として『英雄譜』六十巻を挙げたい(注18)。本書は、『水滸伝』と『三国演義』の合本であり、ここで取り上げる本は、清時代に刊行されたもので、巻首に『水滸伝』と『三国志』の登場人物の繍像が描かれている。本書と『新編水滸画伝』の繍像を比較すると、『英雄譜』に登場する『水滸伝』の時遷〔図7〕と『新編水滸画伝』の打虎将李忠〔図6〕、『英雄譜』収録の『三国志』の魯粛〔図8〕と小覇王周通〔図6〕のフォルムが類似している。『新編水滸画伝』では、見開きに李忠と周通が描かれ、刀を下げた李忠の周囲には、李忠に折られたとおぼしき三本の矢が散らばっている。一方、周通は両手と腕を開いたポーズで描かれている。『水滸伝』では、李忠を襲った周通は返り討ちにあうため、両者の関係性を連想させる構図である。『英雄譜』の時遷は右手で鶏を持ち、顔を右に向けて描かれている。北斎の描いた― 68 ―― 68 ―

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